喫といふほど単純なものではない。未開人の生活の実写とは全く別な、一種の文化生活の表現があり、個々の場面や物語の内容如何に拘はらず、そこには欧羅巴的伝統の醸し出す特殊な空気、一口で云へば、現在の日本人には羨ましいと思はれる自由さ、人間性の尊重、個人主義の徹底、表情のヴアラエティ、生活様式の統一、社会制度の一応の合理性といふやうなものが発見できる。悪党や愚劣な人物や、目に余る風習などがないわけではない。それは日本と聊かも変りはない。しかし、それらのものが、すべて仮面を剥がれてスクリィンの上に踊つてゐるのであるから、いはば観る方では安心である。その意味で、西洋映画は、西洋に興味をもつものを惹きつけると同時に、夥しい西洋崇拝者を産みつつあることと思はれる。
 早い話が、恋愛の場面の如き、日本人には真似のできないやうな科《しぐさ》や白《せりふ》も、今日の青年男女にとつては、たしかに、ああいふ国に生れたらといふ憧憬に似た嘆きを漏らさせる種であらう。
 羨望とか憧憬とかにまでは行かなくても、西洋風の生活、西洋人の風俗習慣は、それ自体われわれにとつては、好奇心に値する見事なスペクタクルである。喧嘩の仕方でも、食卓の儀礼でも、衣裳の着こなしでも、夫婦間の日常会話でも、子供の遊び方でも、カフェエの雑沓でも、それこそなんでもかんでもが、珍しくもあり、知りたくもあり、想像を確めたいことだらけなのである。なぜかといふと、今日の日本人の大部分が、幾分づつそれに近づかうとして、しかも、どこかぴつたりしないものを感じ、ああでもないかうでもないと、ひそかに苦労をしてゐる時代だからであるし、また、おれは日本人だから日本風を好むと云ひ切れる人間でさへ、やつぱり、卑俗な意味で、西洋の女の嬌態には曖昧な視線を注ぐといふのが、僕の偽らぬ観察である。
 これだけ云へば、もう沢山であらう。語学の勉強にトオキイを見出したといふ学生をも、これに加へてよければ加へることにしよう。(一九三六・七)



底本:「岸田國士全集23」岩波書店
   1990(平成2)年12月7日発行
底本の親本:「時・処・人」人文書院
   1936(昭和11)年11月15日
初出:「とつぷ 七月号」
   1936(昭和11)年7月1日
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年3月18日作成
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