ります。
 生活の不安は、国民一人一人の心がしつかりと結びつけられてゐないところから来るのでありまして、日本のやうな国では、戦さがいくら続いても、例へば欧洲諸国のやうに、国内がまつたく饑饉状態に陥るなどゝいふことはあり得ないのであります。たゞ、現在のやうに、隣人相助けるといふ精神が薄く、誰かゞ困つてゐても見て見ぬふりをするものがなかなか多いといふ状態では、国民の一人一人が、なるほど安心してはゐられないやうな気持になるのは尤もであります。
 私は国民の一人として、こゝで皆さんに提議いたしたいのですが、先づ、いかなる事態に立ち到らうとも、隣組はしつかり手を取り合ひ、そのうちからは一人も食に饑ゑるやうなものを出さないことを誓ふことであります。こんなことは当然のことですが、まだまだ、われわれはその一事さへ信じ合ふといふところまで行つてをりません。これがまことに不安と云へば不安であります。
 そればかりではいけません。隣組は更に、次ぎのことを約束したらいかゞでせう。
 万一、老人や子供を避難させるやうな場合、主人や主婦は、それぞれ勤先や町内の勤務に服さなければなりませんから、その代りになつて、一手にそれらを預る専任のものをきめておき、決してばらばらにならぬやう、責任を以てその保護に当ることを予めきめておくのであります。
 こんなことも、既に気がついて実行してゐる隣組もあると思ひますが、私はこれも上から命ぜられる前に考へておくべき大切な準備の一つだと信じます。
 さて、かういふ風に、次ぎから次ぎへと準備を進めて行きますと、今までのわれわれの生活はなんといふ隙だらけな、そして、無駄の多いものだつたかといふことがわかります。
 どうしてもなくてはならぬものがなく、あつてもなくてもよいものがざらにあるのであります。物質的にもさうでありますが、精神的には更にさうであります。
 一家族を単位とする生活が、いはゆる家族主義の名のもとに、あまりに、家族本位になりすぎてゐたことも、かういふ時代に、反省してみなければなりません。国家を形づくる一細胞としての家と家とは、今日まで、ほとんど利害を同じくするところのない他人同士で通つてゐたのであります。さういふ風にして近所と対立してゐる家の生活といふものには、なによりも、経済と神経の浪費が数へられます。大都市に於ては殊にさうであります。
 かういふ家の
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