せうか。
夫 とに角、家内が帰つてからのことにして下さい。早速、電報を打つて見ますから……。
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夫は、蟇口を懐へねぢこんで外へ出る。詩人は、そのまゝ二階へ上るが、やがて、
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詩人の声 (朗唱する)夫婦、繋がれた一|対《つゐ》の男女、朝は夫の仏頂面《ぶつちやうづら》、夜は妻の溜息、十年一日の如く、これも自業自得、互に見あきた顔と顔。
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玄関の方から風呂敷包みを抱へて、妻がはひつて来る。審《いぶか》しげに家の中を見廻す。ふと、二階の声を聞きつける。
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妻 (階段の中途までかけ上り)鳥羽さん、もう帰つてらしつたんですか?
詩人の声 早く飯を食はして下さい。
妻 何時《いつ》お帰りになつたの。
詩人の声 もうさつき……(現れる)飯を食ひ損《そこな》つて、腹がぺこ/\だ。汽車で弁当を買ふつもりでゐたら、つい寝込んぢまつて……眼が覚めてる時は、生憎《あいにく》汽車が動いてる時なんです。
妻 うちの人は? どうしたでせう。
詩人 今、電報を打ちに出かけました。
妻 電報を? 何処へ?
詩人 郵便局へ。
妻 さうぢやないのよ。誰んとこでせうつていふのよ。
詩人 あなたんとこだつて言ひましたよ。そいぢや、電報を見て帰つて来たんぢやないんですか。
妻 出掛けて、もうそんなになりますの。
詩人 なるかも知れませんよ。喧嘩でもしたんですか。
妻 あの人、何か言つてました?
詩人 僕の想像では、あなたがいよ/\先生に愛想をつかしてお里へ帰られたんぢやないかと思つてました。
妻 さういふ意味もないことはないんですの。あなただから御話しますわ。まあ、かういふわけなのよ。聴いて頂戴。
詩人 坐つて聴いてもいゝでせう。(二人、長火鉢のそばへ坐る)
妻 あなた方にはおわかりになるかどうか知らないけれど、あたし達夫婦は、今、倦怠期なの。
詩人 倦怠期……ふうん、結婚後何年目です?
妻 七年目ですわ。
詩人 ぢや、おそい方だ。倦怠期《そいつ》の来かたが……。
妻 でも、これが四度目ですもの、やりきれないつていふ時期がよ。
詩人 四度目……約一年おきにやつて来ますね。
妻 それで、たうとう、二人で相談したんですの、お互に呼吸抜《いきぬ》きをしようつて……。
詩人 僕のゐない間だけ。
妻 さう、一週間だけ、つまり、世帯休業《しよたいきうげふ》よ。夫婦生活の休暇ですわ。
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この時、夫が帰つて来る。妻の姿を見て、別に驚きもせず、かるく会釈をする。
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詩人 奥さんからすつかり聞きましたよ。今、休業中なんですつてね。
夫 だが、あなたに関係はありませんよ。
妻 さうよ、あなたは平気でいらつしやつていゝのよ。
詩人 すると、どういふことになるのかなあ。僕のいろんなことは誰がしてくれるんです。それは世帯以外と認めるんですか。
夫 無論です。
妻 でも、あたしは、なんにもしませんよ。第一、けふ帰つて来たのは、全く偶然なんですもの。
夫 偶然でもなんでも、鳥羽さんの世話だけは、お前の役目だ。
妻 戯談《じようだん》おつしやい。下宿人をおいてるつていふのは、誰のためなんです。あたしのためばかりぢやありませんよ。
夫 おれのためばかりでもない。
詩人 世帯のためだ喃《なう》。
妻 さうです。ですから、その方も休ましてもらひます。
夫 おい、おい、そんな無茶をいふやつがあるか。
妻 なんです。それは誰に向つておつしやる言葉です。あたしは約束の期間中、あなたから妻といふ取扱ひをうけないはずでしたわね。
夫 それと、これとは問題が違ふ。
妻 いゝえ、違ひません。約束の条文を変更しない限り、あたしには、なんの義務もありません。
夫 さういふならそれでいゝ。お気の毒だが鳥羽さんには、もうしばらく国へ帰つてゐて頂かう。
詩人 僕は国へ帰るのは困りますよ。そんなわけなら、どこかほかへ、下宿を探しませう。しかし、一体、その約束の条文つていふのは、どういふんです。差支なかつたら、僕に聞かしてくれませんか。或ひは、解釈の仕方で、奥さんが言はれるほどの面倒な結果にはならないかも知れませんよ。
夫 いや、実は、かういふわけなんです。われ/\夫婦は、一見ほかの夫婦と変つたところは、ないやうなんですが、よくその関係並に現在の状態を突つ込んで考へてみると、世の中にはまたとない不思議な夫婦なんです。(間)われ/\は、もと/\恋愛から出発した結婚をして
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