用があつて、はひつて来た?
男  それは、こつちからきゝたいくらゐだ。
奥の声  僕は、この家《や》の主人だ。
男  戯談言ふな。おれはこの家《や》の下宿人だ。
奥の声  鳥羽さんなら国へ帰つてる筈だ。
男  おや、おれの名前を知つてやがるな。君はおれの詩を読んだことがあるか?
奥の声  無理に読まされたことはあるが、面白くないから、読んだふりだけしておいたんだ。
男  ところが、そんなふりをしたつて、なんにもならないんだ。こつちは、どうせ、書き損ひしか読ませないんだ。それはそれとして、奥さんはどうしたんです。
奥の声  しばらく家《うち》にゐないんです。あんたは予定変更ですか。

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雨戸を繰りはじめる。家の中が急に明るくなる。
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詩人  やあ、たゞ今。いよ/\親爺《おやぢ》とは絶交しました。但し、お袋《ふくろ》が今まで通り内証で仕送りをしてくれる筈ですから、別に慌てることもないわけです。奥さんが留守のせゐか、いやに家《うち》ん中《なか》が散らかつてますね。僕の部屋なんか、誰か掃除するんですか。
夫  無論、誰もしません。(洋服を脱いでドテラに着替へる)しかし、あなたが帰るまでには、家内も帰つて来ることになつてます。
詩人  僕は一週間の予定だつたんだから……すると、もうあと幾日《いくんち》です。
夫  あれが十六ン日《ち》(指を折り)明日《あす》、明後日《あさつて》、……しあさつていつぱいには帰る筈です。
詩人  それまで僕は、どうするんですか、飯なんかどうしてくれます?
夫  なんとかしませう。電報で呼び戻してもかまひません。
詩人  遠方ですか。
夫  えゝ、里の方へちよつと……。
詩人  お里つて言へば、四谷《よつや》か、どつかぢやありませんか。
夫  さうです。
詩人  いやに落ちついてるんだなあ。まさか、奥さんに逃げられたんぢやないでせう。
夫  逃げるくらゐな奥さんなら、わたしだつてもうちつと、別の方法を考へますよ。
詩人  すると、それ以上重大な問題が起つたわけですね。
夫  まあ、その話はそれ以上きかないで下さい。わたしたち二人だけの問題なんだから……。
詩人  それやさうだ。僕は、たゞ、下宿人として、自分のことを心配してゐるだけです。なんならほかへ移りま
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