に抱いて海に投ぜん」とか云つてゐるのであらう。
 黒人君は黒人君で、白い歯をむきだし、いはゆる「プチ・ネエグル」で、「あとこれだけ……」と指を三本見せ、さもなければ、今度は手真似で、「船をこがぬ」と云ひ張つてゐる。
 本船は明日の朝の出帆である。急ぐことはない。これからこの日光と砂の国に上陸したところで、水瓶を腰にかかへた赤銅色の女を見るだけの話である。それよりもこの黒と黄との争ひが、これからどう発展するか見てゐたい。
 この時である。傍に座を占めてゐた彼等のうちの一人は、はじめて僕に話しかけた。―― Quel sale type !(なんといふ汚ない奴でせう!)
 僕は眼でそれに応へた。
 たうとう増金をだすことになつて、船は岸に着いた。
 僕はいつの間にか、彼等の一行中に加はつてゐた。
 最初船の中で僕に話しかけたのは、パリで医学を修めたといふC君である。
 次に僕に話しかけたのは、アメリカで政治経済をやつたといふK君である。
 その次は、フランスの女を連れてゐるL君、これはパリで支那料理の店をだしてゐる人である。
 それからもう一人は、画家のS君、嘗て日本の美術学校にもゐたといふ変り種だ。
 親日派と、排日派とに分れてゐるわけでもあるまいが、最後まで口を利かない幾人かがゐるにはゐた。――それすら、いよいよ上海で、僕のために別宴を張るといふ晩、快く食卓についてくれた。
 医学士のC君は、一見茫漠として捉へどころのない、そのくせ議論がたまたま東洋精神といふやうな問題になると、顔面朱を注ぎ、口角泡をとばして相手を悩ますのである。
 政治経済のK君は、もう、大学教授兼新聞記者といふ肩書をもつてゐるだけに、沈痛な口調で、冷徹な批評を、あらゆる問題の上に加へた。殊に日本の外交をめちやめちやに罵倒した。日米戦争は当然起るべきこと、その場合、支那は勢ひ米国に加担すべきこと、さうなると、日本は支那の海軍を軽蔑して、一挙にヒリツピンを占領すべきこと、すると支那は、ヒリツピンと日本本国との連絡を遮断して、米国艦隊の東京湾攻撃を容易ならしむべきこと、等々、彼は流暢な英語でまくしたて、僕がそれを黙つて聴いてゐると、眼界千里の海上には、音もなく夜がくるのである。
          ★
 仏国郵船会社の巨船ポルトス号は、一乗客たる某国侯爵家の要求を容れて、神戸入港の時間をわざわざ三時間遅
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