いふ話を知つてゐるかね。線路巡視がそれを見つけて、いろいろ調べて見ると、「おれは大統領デシヤネルだ」といつて威張るもんだから、テツキリ狂人だと思つて交番に渡したといふ話だが、それはほんとなんだよ。なに、公用でどこかへゆく途中、寝台車から抛りだされたまでのことさ。デシヤネルを「出車寝」と書いてもよささうだなんていつた奴がゐる。
 これと何も関係はないが、これ以上喜劇的な場面を、フランス人といふ奴は日常平気で創作してゐるんだ。
          ★
 それは、ある町医の診察室だ。何かの注射を受けに来た患者が、手術台の上に腹ばひになつて、尻をだしてゐる。
 医者は、注射器を手に持つてその尻を撫で廻してゐる。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
医者 さう力をいれないで……。
患者 然し、先生、どこへやるんだか、はつきりおつしやつて下さい。その部分だけ力を抜いてゐればいいんでせう。
医者 この辺かな。(指で押す)
患者 その辺だとすると……。(片一方の尻つぺただけやはらかくしようと努力する)あいちツ。(もう針が刺さつてゐる)
医者 動かずに……。ぢつとして……。(注射液を徐々に押し込む)痛くはないでせう。
患者 痛いです。
女の声 (奥で)アルマン、ぢや、一寸行つてくるわよ。
医者 もう出かけるのか。それぢやね……。(患者に)一寸失敬……。(戸口に近寄り、戸から外へ首を突きだし)なんだ、その荷物は……。
女の声 帽子ができて来たんだけれど、飾の花が気にいらないから、取換へにゆくの。だつて、二た目とは見られないやうな赤いばらよ。
医者 赤いばらだつていいぢやないか。それぢや、今度はなんにするつもりだい。
女の声 なんか、もつと、あつさりした、似合ふものにするわ。
医者 (声を低くし)ぢや、帰りに、マルタンのところへ寄るだらう。
女の声 時間があつたらよ。
医者 どこか、まだ寄るところがあるのか。
患者 (苦しさうに)先生。
医者 いますぐ……。それで、どこへ寄るの。
女の声 いいとこ。
医者 (ぢれて)兎に角、マルタンのところへ行つたらね、今夜、勝負をするからつていつてくれ。
患者 (益々苦しさうに)先生、大丈夫ですか。なんだか、針が折れたやうです。
医者 (一寸振り返つて見て、それには答へず)遅くなると承知しないよ。おい、………(キツスの音)
患者 (泣きだしさ
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