き、折り返して1字下げ]
少女 さ、みんなで、一緒に遊びませうね。何をして遊びませう、歌を唄ひませうか。え、歌、知らないの。まあ、かういふ歌も……。(小声で歌を唱ふ)そいぢや、お話をしませう。桔梗さんあなた、お話、上手らしいわ。さ、して頂戴……。(彼女は、耳を澄まして、桔梗の話を聞いてゐるかのやうである。眼を見張つたり、笑ひたさうに手で口を塞いだり、しんみりうなだれたり、快活に手を叩く真似をしたりする)
老婆 (静かに少女に近づき哀願するやうに)お嬢さまどう遊ばしました。お嬢さま、なにをそんなに……。(泣かんばかりに)お嬢さま、婆やの声がお耳にはひりませんか。
少女 (全く夢中で)さ、今度は女郎花さんの番よ……。今度は、もつと悲しいお話をして頂戴。悲しい、悲しいお話よ……。(静かに、眼をつぶるやうにして、耳を傾ける)ああ、それがいいわ……。(しきりにうなづく。やがて眼に涙が溜る。一滴、二滴、涙が頬を伝ふ。肩がだんだん大きく波をうつ、しまひに、両手で顔を覆ふ)
老婆 (驚いて少女の肩に手をかけ)お嬢さま、お嬢さま、それがあなたの病気なんで御座いますよ……。さ、婆やとお話をして下さいまし……。婆やが面白いお話を致しませう……。
少女 今度は、芒さん、もつと、もつと悲しいお話をして頂戴……。ええ、どんなに悲しくつてもいいわ。
老婆 いけません、お嬢さま……。あなたは、御自分で病気をお癒しにならなければいけません……。一度だけ、婆やとお話をして下さいませ。さ、婆やが、悲しい悲しいお話しを致しませう。
少女 芒さん、なにをそんなに考へてるの。さ、もう、あたし聞いてるわよ。
老婆 昔々、ある処に、珠子さまといふお美しいお嬢さまが御座いました。お父さまも、お母さまも、それはそれは、珠子さまをお可愛がりになりました。珠子さまは、お美しいばかりでなく、それは悧巧な、優しいお嬢さまで、先々は、どんなに立派な旦那さまをお持ちになるかと、世間でも、みんな、お噂を致してをりました。その珠子さまが、どうしたわけか、この夏から……。
少女 (急に大声で笑ふ)いやね、ちつとも悲しくなんかないわ、そんなお話……。
老婆 いいえ、こんな悲しいお話は御座いません。この夏から、急に……急に……草花や鳥けだもの[#「けだもの」に傍点]などとばかりお話をなすつて……。
少女 芒さんつて随分滑稽な方ね。
老婆 お父さまやお母さまの御心配は、どんなだとお思ひになります……。
少女 それからどうしたのよ、風は行つちまつたの……。
老婆 (泣きながら)お嬢さま、お願ひで御座います。どうか一と言お返事をなすつて下さいまし。
少女 (笑ひながら)あら、いやだ。
老婆 (驚いて)へ?
少女 そんなこと訊くならいや……。(ぷんと起ち止り)芒さんはそんなこといふから、あたし、きらひよ。ねえ、桔梗さん。あなた、あたしの部屋へいらつしやらない。え、ぢや、女郎花さんと一緒でもいいわ。(少女、桔梗と女郎花とを連れて退場)
老婆 (このあとを追ひながら)あああ、ながいきはしたくない。
芒 (しばらく考へた後)あの婆さんは、なにをいつてたんだらう……。しかし、あの娘が病気だつていふのは、どうしたんだらう。なにかわけがありさうだね……。
蛇 (突然草叢の蔭から逼ひ出し)おい、黙つてろい!
[#ここで字下げ終わり]
[#地から4字上げ]――幕――
底本:「岸田國士全集2」岩波書店
1990(平成2)年2月8日発行
底本の親本:「新選岸田國士集」改造社
1930(昭和5)年2月8日発行
初出:「大阪朝日新聞」
1927(昭和2)年1月3日
※複数行にかかる中括弧には、けい線素片をあてました。
入力:tatsuki
校正:Juki
2009年7月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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