やうに驚かれるには当らないと思ふ。
汁粉屋にはひつて、鰻を注文し、お生憎さまと云はれて、汁粉屋の不都合でゝもあるかのやうな驚き方をされては、汁粉屋たるもの、恐縮どころか、却つて、驚くであらう。
小山内君の戯曲論を――実は芸術論を、今更反駁するのは気がひけるが――たゞ、念の為め、これだけのことは云つて置きたい。
劇に限らず、一切の芸術は、理想として一般公衆の為めに存在するといふ議論は、あんまりわかりきつた議論である。
然し、いくら一般公衆の為めにものされた芸術品でも、彼らの或るものには興味があり、或るものには興味が無い――さういふものがある。興味が無いといふ理由――それは様々あらう。然し、或る芸術的作品に対し、それがわからないで興味のもてない人間よりも、それがわかつてゐながら、それ以上のものを求める人間の方に、誰しも敬意を払ふに違ひない。芸術家の目ざす相手は、正に、かくの如き公衆でなければならない。
これだけのことがわかつてゐれば、どんな小数者の為めの芸術も立派に存在の理由があるではないか。
現に小山内君らの経営される築地小劇場は天下幾人のために存在してゐるか。それでなほ且
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