ストさんは、今、ストラウス夫人のお邸へおいでになつてゐます。そこで、また、イエナの広場へ引返した。今度は、――たつた今、レジャンヌ夫人の楽屋へいらつしやいました。その足で巴里座の楽屋さ。はひらうとすると、ポルト・リシュとエルヴュが廊下にはみ出してゐる。ミルボオの声だけが部屋の中から聞えるんだ。我輩は、諦めて、君が、恐らく帰り途に寄るだらうと思つたセレスト嬢のサロンへ腰を据ゑたんだ。待てど暮せど君の姿は見えない。その時のセレスト嬢は、我輩の失望を、どう云つて慰めてくれたと思ふ。
プルウスト  …………。
グランジュ  かう云つて慰めてくれた。――あの人は、レジャンヌ夫人と二人きりになるまで帰りはしませんよ。そして、取つて置きのフィイヌを一本あけてくれたよ。
プルウスト  (目の前の書物を取り上げ、また、頁を繰りはじめる)君、済まないが、そこに紙切ナイフがあるから取つてくれ給へ。
グランジュ  (ナイフを渡す)
プルウスト  ありがたう。
グランジュ  かうして本にしてみると、やつぱり、その序文はあつた方がいゝ。書き直して貰ふくらゐなら、止すつもりでゐたんだ。しかし、君が最後に手を入れたところは、その通りになほつてゐる筈だ。
プルウスト  君の剛情には全く弱るよ。今度ぐらゐ自分の書いたものに不安をもつたことはない。
グランジュ  かうして、会つて話をしてからでも、まだ書き直したいか。
プルウスト  …………(読みつゞける)
グランジュ  君の仲間にも偉い奴はゐるだらうが、元来、新仏蘭西評論《エヌ・エル・エフ》といふ雑誌は、君がゴンクウル賞を受けるまで、君の書くものを受け附けなかつたんだぜ。その理由は、君が社交界を題材にした小説しか書かないからといふのだ。そのことについて、我輩は「マタン」で、何時か手ひどくあの雑誌を攻撃してやつた。その時の、君の礼状みたいなものを、我輩はまだしまつてある。
プルウスト  なるほど、こゝのところは、少しひどすぎたな。
グランジュ  (のぞき込み)何処、え、何処…………。
プルウスト  (ある個所を示し)言葉が足りないんだな。
グランジュ  なに、かまわんさ。我輩は、この次の本で、その序文に対する返答を巻頭につけようと思つてゐる。今日、こゝで云つたやうなことを、みんな書くつもりだ。
プルウスト  それはよした方がいゝ。
グランジュ  いや、さうするよ。これは君の友情に酬いるたゞ一つの方法だ。君の立場を明かにして、君の周囲のものを安心させてやるよ。
プルウスト  そんなことをする必要が何処にある。今、読み返してみて、多少云ひ足りないところはあると思ふが、全体を通じて、僕の考へは明白に出てゐる。取り消さなければならないところはない。
グランジュ  それや、ほんとかい。
プルウスト  ほんたうだ。
グランジュ  よし。ありがたう…………。

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長い沈黙。
[#ここで字下げ終わり]

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グランジュ  君の健康も、だん/\恢復するやうだし、これからまた、どし/\傑作を書いてくれ。君が、サラ・ベルナアルの年まで生きられるんだと思ふと、我輩は実に愉快だ。そのうちに、アカデミイ・フランセユズで、君は、ジャック・リヴィエエルやアンドレ・ジイドと椅子を並べるだらう。ポオル・モオランも、その次ぐらゐにはひるかな。その頃は、ポオル・クロオデルが君たちの仲間に加つて、仏蘭西大統領に納まるだらう。さうすると、我輩の絵も、お蔭で、肖像博物館に陳列されて、――おや、これは、家にあるジャック・グランジュつていふ三文画家の絵みたいだ、なんて、臆面もなく立止つて見る見物人も出て来るわけだ。
プルウスト  (ひそかに眉を寄せる)
グランジュ  してみると、やつぱり、君の、あの志願兵の軍服姿を、一枚描いとくんだつたな。アツシリヤの王子みたいな奴をさ。
プルウスト  (笑はうとしない)
グランジュ  だが、我輩の絵は兎に角、モデルの選択については、大に自慢してもいゝことがあるんだぜ。
プルウスト  それは、この序文に、僕が書いたことだ。
グランジュ  あゝ、さう/\。――但し自分を除いてはと、君は書いた。それを除かれてたまるもんか。君の肖像を描いたのも、君のゴンクウル賞以前だ。ジイドにしろ、バレスにしろ…………。
プルウスト  (やゝ荒々しく)もうわかつてる。
グランジュ  大家になつてからの肖像なら、誰でも描く。その最も甚しいのは、ヴェロニだ。君のところへはまだ来ないかい。
プルウスト  …………。
グランジュ  もうぢきやつて来るから、見てゐ給へ。(間)怒つたのかい、マルセル…………。
プルウスト  …………。
グランジュ  我輩のお喋舌は、つまらんだらう。
プルウスト  ……
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