ろがよくわかる。何処を苦心したかと云へば、我輩を如何にして、「一人前の」芸術家として取扱はうかといふことだ。
プルウスト  …………。
グランジュ  いや、君からの手紙でも、その苦心は察しられた。君の周囲が、この序文問題で、どういふ風に動いたかといふことも、薄々知つてゐる。君には、非常な勇気が必要だつたのだ。我輩は、殆んど後悔したくらゐだ。だからこそ、君の再三の手紙に、我輩は再三答へたのだ――率直に書いてくれ。決して我輩に花を持たせる必要はない。…………待ち給へ。批評的でなくては書けないといふなら、何処をどう突いてくれてもいゝ。君が序文を引受けてくれたことだけで、君の友情は信じることができる。かう答へた。だが、君は、まさか、我輩が、その友情に縋つて、君から何ものかを求めようとしてゐたのだとは、考へてくれまいね。
プルウスト  …………。
グランジュ  我輩が君のところへ押しかけない日は、君が我輩のところへやつて来た、あの頃から、もう三十年近くになる。その間にお互偶然に顔を合はせたことが、忘れもしない、たつた三度だ。同じ巴里に住んでゐてだよ。君が、ゴンクウル賞以来、我輩がニニイとの馴れ初め以来だ。その間に、ドレフュス事件がきつぱり二人を引裂いてしまつた。君は、その当時、いや、今でもかも知らんが、ドレフュス党であることを大変自慢にしてゐた。しかし、そんなことはどうでもいゝ。我輩は君の消息を、一から十まで知つてゐたのだ。君の家の夜会に、今度は誰々が呼ばれてゐるといふことや、君の「スワン」が、最近スカンヂナヴヤ語に訳されるといふことや、そんなことまで残らず知つてゐた。
プルウスト  …………。
グランジュ  そればかりではない。我輩は、到る所で、会ふ人毎に、君のことを喋舌り過ぎると思ふくらゐ喋舌つた。喋舌らずにはゐられないんだ。君の話をする時ほど、人が我輩の言葉に耳を傾けてくれる時はないんだ。そのためではない。そのためではないが、我輩は君の書くものは、全部、悉く読んでゐる。愛読…………そんなけちな読み方ぢやない。なあ、おい、マルセル、我輩は、血眼になつて読んだんだ。
プルウスト  …………。
グランジュ  あの筆で、いや、あの素晴らしい感覚で、あの頃の二人のことを書いて欲しかつたんだ。君の名前だけで、この本を飾るつもりはなかつたんだ。君が送つてくれた序文の原稿を受け取つて、
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