になつてゐたのだ。
 わたしはそれを知つた時に、自分を制御しようと努めた。が、それは不可能なことだ。わたしは、そのために、あらゆる精神的努力を傾倒し尽した。わたしは、あらゆる慰藉の手段を探し求めた。処が、わたしが教育した女が、少しの才能もなく、少しの美しさもなく、そして、その女が、わたしの人生観を根柢から覆したと思ふ時、わたしは悲嘆にくれた。それでも、彼女が、自分の潔白なことをわたしに告げた最初の言葉で、わたしは、わたしの疑ひが不合理であることを感じた。わたしは彼女に冤しを乞うた。
 然しながら、わたしの態度は、少しも彼女の心持を変へることはできなかつた。わたしは苦しい。わたしを憐れんで下さい。わたしの情熱は、彼女の利害に同情を持つほどまでに進んではゐた。なるほど、父として彼女を愛することはいゝことかも知れない。然し、わたしは、一つしか愛し方を知らないのだ。一つしか愛し方はないと思つてゐる。……」
 これは、当時、「評判の女優」といふ標題で発行されたパンフレツトの中に、モリエール自身の告白として掲載されたものである。その真偽はしばらく措き、モリエールは一生涯、浮気な妻の為めに、あらゆる苦痛と屈辱とを味つた。そして、この苦悶の中から、この惨澹たる生活の中から、傑作「人間嫌ひ」を生み、「妻を寝取られる妄想」を生み、「ジヨルジユ・ダンダン」を生んだのである。彼が美しい女優を妻にしなかつたら、仏国戯曲史から少くとも三つの名作が減つてゐたらう。

 モリエール一座に、シャンメエレといふ女優がゐた。その容姿について伝へるところは少いが、悲劇の女主人公として当代並ぶものなき名優であつたらしい。モリエールの許に出入する若い詩人のうちに、ジャン・ラシイヌがゐた。モリエールとシャンメエレとの関係は詳かでないが、ラシイヌは、シャンメエレに眼をつけた。悲劇作者として当然のことであるが、その当然さは、彼女をモリエール一座から奪ひ取つて、別の一座を組織させるに至つて甚だ当然でなくなつた。やがて悲劇「アンドロマアク」は、名女優シャンメエレの手によつて空前の成功を収め、ジャンをして一躍十七世紀に於ける大作家の名を成さしめた。モリエールはラシイヌと絶交した。ラシイヌとシャンメエレとの関係も長くは続かなかつたらしい。天才ラシイヌは、これまた稀代の恋愛師であつた。

 下つて十八世紀になる。ラシイヌの恋
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