長は自ら群集の前に立つた。
たつた今、あの凄じい勢ひで中国軍を蹴ちらした日軍の総大将は、そこへ姿を現はしたゞけで十分の睨みが利くわけであるが、そのうへ、噛んで含めるやうな平易な話し方で、日本軍がなんのために此処へ来たかを説明し、再び支那軍を寄せつけないために、附近の橋をみんな毀して行くから、いかにも不自由であらうが、当分の間、勝手にその橋を修復してはならぬと説ききかせ、最後に、この部落からは大分逃げたものがゐるやうだが、いつたい、どうしてお前たち兵隊でないものまでが逃げるのか、と問ひを発した。すると、群集の一人が答へた。
「これまでわれわれは、日本軍が攻めて来たら住民はみんな殺されると聞いてゐた。しかし、近頃、楊州から来たものゝ話に、決してそんなことはない、楊州にゐる日本の兵隊は実に立派な兵隊で、中国の良民に対してはどこまでも親切だとのことで、自分は安心してゐた。さういふことを知らないものがみんな先を争つて逃げたのだ」
時にこの答へはどういふ風にでもとれるが、それを云ふ当人がわりに朴訥な印象を与へたゝめに、小川部隊長は「うん、さうか」と大きく肯首き、部下をほめられた隊長の満悦をかくしきれぬ様子であつた。
昼食の支度ができ、われわれはまたアンペラの上に坐つて炊きたての飯を頬張つた。茹で卵などもできてゐて、なかなかの機敏さである。
私はかうしてゐる間にも、支那軍がなぜ逆襲をして来ないのか不思議に思はれた。もちろんこつちにも備へはあり、部落の外側は警戒を厳にしてあるのだが、軍隊の士気といふものはまた格別で、ほんたうに旗を捲いて逃げたら、さう易々と出直して来られるものではないのであらう。
さつきから、桂班長がぷりぷり怒つてゐる。
「じつにうるさい婆だ。あの捕虜の一人を自分の孫だから助けてくれと云ふのですが、そらその婆ですよ、またなにか愚図々々云ひに来た」
なるほど、一人の老婆が、入口に跪いて、手を合はせて拝みながら、しきりになにやら訴へてゐる。親が出て来たら赦すといふ掟はないのだから、この応対は誰にだつて満足にできる筈がない。流石の桂氏もこの婆さんを黙らせるか、自分で耳を塞ぐかするより手はないと見える。ところで、班長に手ごたへなしと見てか、婆さんは今度は、そのへんにゐる誰彼れを問はず、そつちへ顔を向けたものをつかまへて、泣訴哀願しはじめた。あまりよく喋るので、私
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