部屋の隅に、ひと塊りになつてぢつと入口の方を眺めてゐる。人の気配で悸える風もみえない。却つて、それをしほに起ち上つて片づけものなどしはじめる中年の女もある。笑顔をもつて迎へる用意はまだできてゐない。たつた一軒、急造の日の丸を軒先に掲げてゐた家がある。敵兵の死体もいくつか目につく。自分で傷の手当をするためズボンを脱ぎかけたまゝ呼吸絶えたらしい、さういふ死との格闘の生々しく想像される姿は、わけても眼をそむけたくなる。が、それも次第に馴れて来ると、手を伸ばせば触れるやうなこれらの事物が、悉く、戦場にある自分といふものゝ単なる心理的遠景としてぼかされてしまふのである。
 今井君は銃に着剣して私のそばについてゐてくれ、私も万一の用心に拳銃を手に握つてはゐるが、どうも芝居じみてゐるやうな気がしてならぬ。油断といふのは、かゝる自意識の驕慢な不覚を指すのであらうか?

     二人の俘虜

 喬野に突入した部隊の主力は、更に敵を追つて五又港の陣地に迫つてゐるらしい。
 喬野といふ部落は、相当大きな部落で、その中央にクリークがあり、これに渡してある橋は船の通る部分だけ取外すことができるやうになつてゐる。
 敵はこの橋梁を破壊する暇がなく、その代り最後までこゝで抵抗を続けたのである。
 私たちがこの部落にさしかゝつた時は、味方の砲弾が時々頭上を超えて飛ぶ唸りが聞えるだけであつた。
 橋の上から左の方を見ると、クリークの幅がぐつと広まり、湖のやうになつてゐた。地図をみると、やはりそれは愛菱湖といふ名がついてをり、例の邵伯湖の一部なのである。
 狭い通りの両側は、何れも小さな田舎町の店であるが、もちろん戸を固く鎖した家が多く、たまにひよつこり顔を出す男などがあると、こつちがギヨッとするくらゐである。
 人家か疎らになり、乾田がまた続く。路ばたに一人の若い男がその父親らしい老人を背負つたまゝ腰をおろして休んでゐる、休んでゐるといふよりもへたばつてゐる恰好である。恐らくみなと一緒に逃げるつもりで此処までやつて来たのだけれども、もう脚がつゞかぬといふわけなのであらう。
 さういへば、私も可なり疲れてゐる。もうどれくらゐ歩けばいゝのかと思つてゐると、向うから伝令がやつて来て、部隊本部はすぐに喬野へ引上げて来るから、そこで待つてゐるやうにとのことであつた。
 空が美しく晴れて、野の花がそここゝに咲
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