る。
味方の主力はどの方向へ動いて行つたか? 霧がはれて来ると、遥か前方の道路上を、大隊砲の一隊が前進するのが見える。敵の退路へ退路へと迫るわが攻撃作戦の効果が察せられる。時計を見ると八時三十分。
部落の住民たち
それにしても、さつきからの激戦に、わが損害はたゞ一人の負傷者だけかと、私は、不思議なおもひであたりを見廻した。ほかに倒れてゐる兵隊の姿はかいもく見当らない。
対岸の人家のかげをうろうろしてゐる支那人の姿が眼につく。なんとなく怪しげな挙動とも思はれるが、まさか敗残兵ではあるまい。
桂班長がこの部落で「宣撫」をやるから見てくれと云ふ。もちろん望むところであるから、私もお手伝ひすると答へた。
先づその前に朝食をといふことになり、今井君は私の飯盒をおろしてくれる。
と、その時、一人の支那人がひよつこりと私たちのゐる家の裏手に現はれ、家のなかをのぞき込んで何やらぶつくさ云つてゐたといふので、一人の兵隊が、こいつ怪しいとばかり引つ捕へて連れて来た。通訳に調べさせてみると、この家の主人だといふ。病人があるので医者を呼びに行かねばならぬが、その前に病人の様子を見に来たのだ。その病人は何処にゐるかと問ふと納屋を指さした。なるほど、一人の老人が蒲団にくるまつて寝てゐる。こつちの返事も待たず、もう何処かへ行かうとするので、兵隊は許さない。
「こら、待て」といふわけで、もう一応この家の主人であることをたしかめるために「茶があれば出せ」と命じてみる。彼は黙つて戸棚を探しにかゝるが見つからない。ビラを貼る糊を作る用意をしろと云ひつけるが、それもすらすら運ばぬ。「こやつ、どうも臭いですよ。どつちみち敵と通じてゐた奴に違ひない」といふことになる。それはしかたがないとして、両手を縛りあげられ、銃剣を擬せられても、彼は平然として、一向に怯む気色がない。まことに図々しくしらばくれてゐる風であり、「どうでも勝手にしろ」と空嘯いてゐるのだと見れば見られるのである困つた代物である。兵隊もこれにはやゝ持てあまし気味で、なんとかひと言上官の命令さへあればといふ顔付が私にはありありと読みとれ、風前の燈火に似たその男の命を誰が救ひ得るであらうと、ぢつと彼の表情に注意してゐた。
巌丈な体格の、四十になるかならぬかといふ年配のその男は、しかし、身に迫る危険を知らぬ筈もなく、また、その
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