も支那側の識者の間には持ち続けられるのではないかと思ふ。まして、第三国の眼からみれば、そこに何等かの秘された目的がありはせぬかと、ちよつと首をひねりたくもなるわけだ。こゝにも私は、日本人の自己を以て他を律する流儀が顔を出してゐるのに気づく。
 戦争をあまりに道義化しようとして、これを合理化する一面にいくぶん手がはぶかれてゐる傾がありはせぬか。主観的な聖戦論は十分に唱へられてゐるが、客観的な日支対立論とその解消策は、わが神聖な武力行使の真の行きつくところでなければならず、寧ろ、これによつてはじめて東亜の黎明が告げ知らされるのだと私は信ずるものである。
 そこで、いはゆる客観的な対立論とその解消策の第一項目として、私は、日支民族の感情的対立の原因の研究といふことを挙げたいと思ふ。事変そのものを挟んで、両国の運命は等しく重大な転機に臨んでゐるけれども、かゝる根本の問題について、なほよく考慮をめぐらす余裕のあるのは、彼でなくして我である。

     日本人の力について

 予定の日数を経過したので、いよいよ楊州を引あげることにし、私は出発の朝、旅館から部隊本部に出掛けて行つて、小川部隊長以下の諸員に暇乞ひをした。
「もつとゆつくり、いろいろなものを見たり、お話を聴いたりしたいのですが、これ以上、日本に帰るのを延ばすことができませんから、残念ながら、一旦お別れをします。都合がつき次第、もう一度近い将来に、此処へやつて来て、あなた方のお仕事の、一層進んだ成果を拝見したいと思ひます。これは国民の一人として、あなたがたに期待するところが多く、また個人としては、忘れ難い記憶をもつてこゝを去るからです」
 さういふ意味の挨拶を述べた後、門前まで諸氏の見送りを受けて、私は桂班長と共に自動車へ乗り込んだ。
 桂班長は、鎮江まで送つてくれるといふ。
 十月三十日、江南の秋はこれからといふ静かに晴れた朝であつた。
 鎮江の部隊本部で預けた荷物を受けとり、九時三十分、上海行の急行に乗る。
 わが軍人軍属によつて満たされた二等車の一隅で、私は、今度の従軍の目的がこれで達せられたのであらうかといふ不安な気持を懐きつゞけた。
 これらの日本人の壮んな往来が、この支那といふ土地にどんな足跡を残すか。後世の眼がどれほど厳しくわれわれの時代の責任を問ふても、われわれはそれに十分応へるだけの覚悟はしなければ
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