は、前にも述べたやうに、自己を以て他を律する癖が双方にあり過ぎて、不必要な感情的摩擦が繰り返されてゐるのではないかといふことである。
 血族を同じくする個人と個人との間でも、心から手を握り合ふといふことがさう易々とは行はれないところをみても、民族と民族とが終始一貫友情の固きを示すといふことは、事実、どんなに空想に近いことかは、云ふまでもないことである。しかし、それが東洋平和の根本的基礎であるとすれば、両国民は、是が非でもこの空想を実現させなければならないのではないかと思ふ。
 恐らく、この事変の終末に於て、両国の政治的結合がある形に於て達成されるであらう。経済的利害の一致点も発見し得るとみて差支なからう。しかし、それだけの関係なら世界の歴史を通じて、いろいろな時代に、いろいろな国家と国家、民族と民族とが、同盟或はそれ以上の形式のもとに、相倚り相助け合ふ協同の態勢を取つたことが屡々あるのである。しかし、さういふ態勢は、国際間の微妙な動きにつれて、何時崩れないとも限らないのが、これまた歴史の物語るところである。日支間の関係は、さういふ脆弱なものであつてはならないのである。ところが、日支間のこれまでの関係をみると、他の如何なる民族間に於けるよりも、不確実で、デリケートな感情の起伏が、国民と国民との間に作用して、一層、国家間の全面的な協力が妨げられてゐた形跡が歴然としてゐるやうに思ふ。こゝに於て、両国の民衆の不幸は、各々の民衆の、「人間的」自覚が遅かつたといふことに重大な原因があるのではないか、と私は率直に両国民の反省を促したいのである。
 平和のための戦争といふ言葉はなるほど耳新しくはないが、それは一方の譲歩に依つて解決されることを前提としてゐる。ところが今度の事変で、日本が支那に何を要求してゐるかといふと、たゞ「抗日を止めて親日たれ」といふことである。こんな戦争といふものは世界歴史はじまつて以来、まつたく前例がないのである。云ひかへれば、支那は、本来望むところのことを、武力的に強ひられ、日本も亦、本来、武力をもつて強ふべからざることを、他に手段がないために、止むなくこれによつたといふ結果になつてゐる。かういふ表現は多少誤解を招き易いが、平たく砕いて云へばさうなるのである。支那側に云はせると、日本のいふ親善とは、自分の方にばかり都合のいゝことを指し、支那にとつては、不利乃
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