服まがひの服装をしてゐたためであらうか、それらの巡警はいちいち丁寧に挙手の礼をする。実に真面目な、俗に云ふ新兵さんのやうな礼で、私はその度毎に面喰ひ、恐縮した。
楊州といふ町は、支那でも珍しく清潔法が行はれてゐたとかで、下水もでき、なるほどさう云へば、どこを歩いてもそんなに臭いといふやうな場所はない。路傍の汚物も目立つて少い。これもしかし比較的の話で、日本内地の標準では、さあ、どういふことになるか。
さて、僅かの観察ではあるが、私にも、支那といふもの、支那人と云ふものがいくらか解りかけたやうである。
改まつて、それではどんなものだといふことになるとなかなかむつかしい。それは恰もわれわれがわれわれ自身について語るのが困難なのとおなじである。強ひてそれを云はうとすると、どこかに隙間ができ、その隙間から真実が逃げて行くやうな危惧を感じる。
さういふ点で、私は、これまで多くの支那研究家がどんな意見を公けにしてゐるか、それをぼつぼつ参考に読んでみたいと思つてゐる。私の浅い見聞はそれになにものをも附け加へないであらうことはほゞ想像はつくが、たゞ、さういふ支那及支那人なるものゝ享け容れかたについて、私には私の流儀があり、同時に、将来、われわれが支那及支那人に対する根本的態度がどうありたいかといふ希望が生れて来ないわけにいかないのである。
日支親善といふことが云はれてゐる。これは決して外交辞令的な、政治臭を帯びたスローガンであつてはならぬと思ふ。単に両国の利害問題を基礎として、その関係を道徳的な名義に塗りかるだけのことなら、国民全体がそれほど一生懸命にならなくても、若干の基本的条件がそろへば結果は期せずしてそこに趨くのである。しかし、われわれが理解するところでは、今度の事変は日支両国民の真の提携、真の協力なくしては、その収拾の方法さへなく、平和建設の大事業を円滑に進めることが甚だ困難なのである。まして、今後永久に亙つて、再びかゝる災禍を繰り返さない為には、お互に余程の覚悟と反省が必要である。
これを理論上から、日支、或は日満支の協同主義を唱へることは、一面に於てむろん必要でもあり、その効果は期待できないことはないけれども、それ以上に、国民と国民との感情的融和を計り、誤解から生ずる相互侮蔑の念を一掃することは、今日、両国の識者が何れも冀求するところである。
しかしながら
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