で字下げ終わり]
 なほ、宗教別による信者数は、
[#ここから2字下げ]
旧教――二〇〇
新教――五〇〇
仏教――三〇〇
[#ここで字下げ終わり]
 とある。正確は期し難いが、旧教は仏、新教は英米であるから、この数の比例は大体こんなものであらう。仏教が意外に少いが、これは各寺院の檀家といふものは非常に僅かで、所謂寺詣りをする信者などはそんなにないことを示してゐるのであらう。
 それから、フランス人経営の孤児院であるが、こゝでは単に事務所のやうなものだけがあり、孤児はすべて養育料をつけて乳母なる信者の家に預ける方法をとつてゐるとのことである。
 いづれにせよ、支那大陸に於て、これら欧米人の宗教を通じて行ひつゝある文化事業の性質とその影響力とをわれわれは十分に注意しなければならぬ。彼等がその本国の政治的立場と密接な関係に於て行動することもあり得るであらう。また、単に、個人若くは団体の道徳的、社会的名分がわが軍事行動の前に自らを屈することを潔しとしない場合もあるであらう。そして、彼等の悉くは、なんらかの意味に於て「支那贔屓」である。支那贔屓といふことがそのまゝ日本嫌ひを意味するとは限らぬけれども、支那を墳墓の地と定めてゐる彼等の大部分にとつて、この度の事変は好ましからざるものであり、理窟の上よりも先づ感情的に支那の同情者たらしめてゐることは事実である。現地のわが将兵が、この空気を敏感に読みとるのは当然である。
 しかしながら、本国の政策に準じて日本の逆宣伝を試み、日本の軍事行動を阻害するといふやうな、非打算的な冒険が、結果に於て何を齎すかといふことぐらゐは、こつちの出方ひとつで彼等にわからせることは容易だと思ふ。
 まして、支那民衆の幸福のために、彼等が真に宗教家の信念と良心とをもつて一切の「政治」の外に立つといふならば、話は至極簡単である。日本当局は、彼等をして安んじてその教義を説き道を行はしめるがよい。看視の方法はいくらもあるのである。
 徒らにその国籍によつて個々の教会に差別を設け、徹頭徹尾これを「政治的」に処理しようとするのは、決して「政治」としても上々の成績は挙げ得ないのではないかと思ふ。彼等は、今日、もはや日本軍の寛大に頼るよりほか、己れの使命を達成する道はないのである。外国の権益は成し得る限りこれを尊重するといふ百の宣言よりも、現地に於て、彼等の人間的感情を
前へ 次へ
全80ページ中60ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング