たいことは、歌舞伎といふものゝ、世界演劇界に占める地位についてゞある。僕の意見では、これは東西に比類なき高級参考品である。殊に西洋の芝居が今日あるやうな発達のしかたをした後では、もはや、全く別個な一つの方向を開拓しなければならないことに誰でも気がついてゐるのである。日本のカブキは、かゝる時機に於て、誠に珍重すべき研究資料たるを失はぬのみならず、舞台表現の一つの究極として、これが時代的意義を詮鑿しない限り、寧ろ驚嘆に値する「新芸術」の見本なのである。
 ところが、現代日本の芝居を通じて、歌舞伎といふものゝ存在がどれほど新しい芝居の勃興を妨げてゐるかを考へたならば、観方はおのづから別にならざるを得ぬし、内容は取るに足らぬが、形式はそのまゝ受継いで行けるといふ議論の如きも、少し落ちついて考へたら、これは危険な議論だといふことがわかると思ふ。
 西洋人が歌舞伎に感心することは、日本人が西洋劇に学ばうとすることゝ、まつたく同じ動機から出てゐると云つていゝ。しかも、如何なる西洋人が、徳川時代の庶民的感情を真に理解し、その生活と風習とを批判したか?
「日本人的」といふ言葉に含まれるあらゆる非文化性、島国性、事大性、愚昧性を、たゞにその思想のなかばかりでなく、その表現形式の、一見豪華な、洗練された、又は単純素朴な伝統のなかに、われわれは発見することができるのである。
 われわれは、今日の世相のなかに、自分自身の周囲に、否自分自身のうちにさへ、既に「歌舞伎的なもの」を如何に多く、如何に根深く感じつゝあるか。われわれは、歌舞伎を観ずに既に歌舞伎に食傷してゐるのである。
 僕は、日本人自らが国宝と叫ぶこの伝統的舞台に対して、たゞ、反感を以てこれを斥けようとはせぬ。寧ろ、愛情を以て、「汝、占むべき地位を占めよ」と宣告する。
 さて、僕は、翻訳をつゞける傍ら、戯曲を書けるなら書いてみようといふ野心を棄てることができず、旧友で作家として名を成してゐるたゞ一人の人物を頭に思ひ浮べた。それは豊島与志雄君であつた。
 八月のある日のこと、豊島君を千駄木に訪ねて、例の「黄色い微笑」の一読を乞うた。その時は、たしか、「古い玩具」と題を改めてゐたと思ふ。
 豊島君は、その原稿を僕の手から受け取つて、先づかう云つた。
「君、原稿用紙は二十字詰を使ふ習慣になつてゐるんだ。書き直した方がいゝな」
 なるほど、僕
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