も、もはや「歌舞伎的」表現に魅力を感ぜず、魅力を感じたとしても、それは自分の「旧さ」のせいであり、「あまりに日本人的」なせいであり、世界共通の文化を建設するための未来の劇場は、東洋の一孤島に於て特殊な発達を遂げ、近代的な頭脳や心臓と没交渉な、個々の創造がまつたく無力化したかゝる演劇形式からは何ものも受けつぐ必要はない、といふのが僕の最後の肚であつた。
三
千九百二十三年の七月、僕は、いはゆる業半ばにして巴里を去らなければならなかつた。観のこした芝居もまだあつたし、買ひ集めたい本もいくらかあつたが、日本で長男に生れると、かういふ場合に自由が利かないのである。
足が十五年ぶりに踏んだ故国の土は、僕にとつてなんであらう?
先づ食ふことを考へなければならない。
見渡すところ、芝居の世界で僕の働けさうな場所は何処にもないのである。
僕は、時節を待つ気持で、ぼつぼつ翻訳の仕事にとりかゝつた。先づ、ルナアルの戯曲を手はじめにやつてみようと思つた。
戯曲の翻訳と云へば、外国に行く前、太宰施門氏とエルヴイユウのものを共訳したことがあるきりである。これは、井汲清治君と僕とで太宰氏に仏蘭西語の個人教授を受けた時分、テキストとして使つた「ラ・クールス・デユ・フランボオ」を僕がすぐに台詞調[#「台詞調」に傍点]に訳し直し、「帝国文学」といふ雑誌に出したものであるが、後に、「炬火おくり」といふ題で全く新しく改訳した。
この翻訳の話も詳しく書くと面白いが、あまり余談に亘るからやめる。とにかく、新旧両訳を物好きな人があつたら比べてみてほしい。自分の恥を吹聴するやうなものだが、語学力の進歩といふやうなこと以外、フランスの芝居を観てからと、観ない前とで、同じものがかうも「違つて」感じられるかと思ふほどである。更めて断るまでもなく、最初の訳が二十五点とすれば、後の訳はまあ五十点から六十点の間であらうか? もう少し時間をかけ、その上原作に興味をもちつゞけてゐたら、八十点ぐらゐまでは僕でも行けるのではないかと思ふ。
そこで、ルナアルの戯曲であるが、これは是非とも、勉強のつもりで、できるだけ丁寧に訳してやらうと思ひたち、先づ、「日々の麺麭」を訳した。毎日二三枚づゝ、気長にやつてゐると実に楽しい。
が、実は、そんなことばかりしてゐられる身分ではないのだから、もう少し金になる仕
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