といふ立場からはさうは行くまい。一歩譲つて、せめて「文明国の体面を保つ」程度のものをやつてはどんなものであらうか。
 これは今日、興行者に向つていふことは無駄である。見物の方でさういふ意志表示をしさへすればいいのである。換言すれば、観てゐて「恥かしくなる」やうな芝居に向つて、容赦なく忿懣の意を表すべきである。それを悦んで見てゐる連中に、「おや、さうだつたか」と反省させるやうに手段を取るべきである。営業妨害を奨励するやうだが、それは却つて、興行者を勇気づける唯一の手段であり、一般観衆の劇場に「求めるもの」を、各自の頭にはつきり描き出させる好機会である。
 政治家が文化的指導力を失ひ、民衆が生活に喘いで、趣味の方向を誤りつつある時、最も端的に、そして最も朗らかに、国民的堕落を警告し得るものは、劇場に於ける「教養ある青年」の痛烈な掛声であると私は信じる。
 この方法は単に、営利劇場の「悪趣味」に対して必要であるのみならず、所謂「新劇」と称する独りよがりの舞台に対しても、同様、その「無定見」と「退屈さ」の度合を知らしめるために役立つであらう。
 私は、現在の芝居が「つまらぬ」から観に行かぬといふ人々を「頼もしき見物」と呼んでゐたが、それはあまりに消極的な考へ方であることに気づいた。
 情熱のはけ口を求め、時代の病根に気づいてゐる人々は、劇場に押し寄せて、先づかの売笑的舞台を弥次り飛ばし、次いでかの「親不孝俳優」を立ちすくませてみてはどうか。若干のデマゴジイを許してもらへば、これこそ、昭和の歴史を飾る合法的愛国運動だと思ふが、賛成者はありませんか?(一九三三・四)



底本:「岸田國士全集22」岩波書店
   1990(平成2)年10月8日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
   1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「帝国大学新聞」
   1934(昭和9)年3月19日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年9月5日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング