るが、小学生の頃の正月が一番胸のおどるような正月だつたことだけは記憶の底にある。
 おやじが近衛連隊に勤めていたから、一家の正月は、その正装のように、にぎやかなものだつた。
 おやじが馬に乗つて出掛けると、私は、学校の式へ友達を誘つて行く。
 家が今の信濃町の近所にあつて、学校から帰ると、津《つ》の守《かみ》坂の横にある「乳屋の原」というのへ遊びにいつた。
 その原には、古池があつて、まわりに枯草が生い茂り、あぶなつかしいブランコが、子供の乗るのにまかせてあつた。
 乳牛が、たまに草を食つている。
 原つぱの隅に、破れた生垣を距ててボロ家が一軒、何をする家かはつきりは誰も知らない。ただ下手な三味線がそのへんから聞えて来た。
 ま新しい日の丸の旗が、門口に立ててある。この印象は、ちようどその頃、日清戦争が終つたのだということと関係がありそうだ。
 そうそう、そのブランコで怪我をした傷痕が、まだ私の額に残つている。その時、そばで紙風船をついていたおなじ年頃の少女が、いきなりついていた紙風船で私の額をおさえ、流れ出る多量の血を気にしながら、私の家まで送つてくれた。
 その少女のことを、私は「
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