「食生活」についての、一人前の発言権だけは留保するものである。
主食の不足が問題になつている時、悠長な「食談義」でもあるまいけれども、それとこれとはまた、話が別である。
まつたくのところ、この小田原に余計なものは、それほどない、といつたがたつた一つ例外がある。「食べ物屋」の数が少しばかり多すぎることである。食べ物屋が必要以上に多いということは「無駄食い」という言葉を想い起こさせる現象で、大都会の盛り場ならいざ知らず、あまり日本の自慢にも小田原の自慢にもならぬ。
それにつけても「食べ物」の話というやつは、多少度外れていても、そんなに実害がないばかりか、もし話し手にその人を得れば、けつこう「空腹」の足しになるという例が、今私の眼の前にある。
これは最近、畏友関根秀雄君から贈られた同君訳の「美味礼讃」で、プリヤ・サヴァランというフランス人が今から二百年前に書いた世界的名著である。
「美味の生理学」という傍題をもつこの書物の不思議な面白さは、読者が知らず知らず楽しい食卓に連れて行かれるということである。
そして、「うまい物」とは決して特別に金のかかるものではなく、どんなものでも、「上手に」食べることだと教えられ、誰でも、健康な感覚さえもつていれば、明日から「うまい物」が味えるという希望と自信とを与えられることである。
さて、彼は、哲学者風にこういう――
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君はどんなものを食べているかを言つてみたまえ。君がどんなひとであるかを私は言いあてよう、と。
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ところで、私は、彼の口真似をして、こういうことができそうだ。
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――君の郷里の名物を私に食べさせてみたまえ。私は、君たちがどんなひとであるかを言いあてよう。
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彼は哲学者であつたばかりでなく、一世を風靡した名コックであるが、この書物のなかにこんな一節がある。
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――チーズのないデザートは片眼のない美女の如きものである。
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するとわれわれは、東京でも大阪でも、ちやんと両眼をそなえた美人というものに出会つたことがないわけだ。
彼の料理法の一例に――
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よく肥えた小禽《ことり》をクチバシのところでつまんで少々塩にまぶし、砂嚢を抜き、上手に口の中に入れ、歯でお
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