うに思ふ。国民は、それについて何を知つてゐるかと云へば、欧米は悪鬼の如く支那人の血を吸つたと云ふことだけである。恐らくそれは事実であらう。しかし、それだけが欧米依存の理由にはならぬ。これまで支那を旅行した人々は、地方の小都市に於てすらマリヤのやうな白色の尼僧が、貧民の娘たちに見事な刺繍を教へてゐる姿を見かけなかつたであらうか?
 日本は外務省の手で同仁会病院を経営し、上海には自然科学研究所といふ堂々たる学術の殿堂を築いたといふかも知れぬが、これを宣伝の側からみれば、例によつて露骨すぎるのである。そして、何故に、日本人は「日本のために」といふ看板が外せないのであらうか?
 われわれ同胞は、男女を通じて、欧米人の彼地においてなしつゝある程度のことを、なし得ない道理は断じてないのである。宗教はある人々にとつてこそ現実の補足であり、信念の拍車であるかも知れぬが、わが日本人は、それなくしては何もできぬといふ国民のうちにははひらぬ。それなら、何がそれを妨げてゐるか? はつきり云へば、わが国の最近の歴史は、かゝる能力あるものゝ手足を縛る不可思議な「思想」に支配されてゐたからである。

     外に伸びる力を内に養へ

 しかしながら、もう今となつては、看板のことなどは問題でない。このまゝ押して行くより仕方がないのである。たゞ、実際の仕事の上で、支那人の面目を尊重してやればよからう。ところで、私は、彼地に於て日本人がどうあらねばならぬといふ前に、それが既に国内に於て、さうあることの必要を力説したいと思ふ。
 戦場の到るところで、われわれは、日本人の日本人らしさに出会ふ。戦場なるが故に、特に平生の日本人でなくなつてゐるといふ事実には一度もぶつからなかつた。これから支那で建設的な事業にたづさはる日本人が、国を離れたから急に日本人ばなれがするといふ風には考へられない。国家としても、国民の上に及ぼす力以外の力を、外国なるが故にその民衆の上に及ぼし得るといふ理由は成り立たないのである。
 日本及び日本人の幾多の美点にも拘はらず、文化といふものに対する考への狭さ、固苦しさ、国家の発展といふ問題に対する希望の不透明、一種のファナチズムは、なんとかならないものかと思ふ。日本文化の宣伝に日本の自然や単なる特殊性を持ち出す非常識が繰り返され、西洋は物質文化、東洋は精神文化などゝいふ無意味なスローガンを生んだりする幼稚さを脱しられぬものだらうか。
 特に近頃目立つ「思想」に対する指導階級の浅薄な潔癖は、国家将来のための由々しい問題である。思想の統制、もとより可なりである。それは「思想」を思想し得るものゝ手によつてはじめて可能だといふことを深く自戒してほしい。実は、忌憚なく云へば、今度の事変に関係してゞも、わが当局が、支那の農民や苦力をつかまへて、「防共、防共」と叫んでゐる宣伝方法は、適当かどうか。
 周知の如く、現在、わが思想対策の面に、旧左翼系統の人物が多く登場してゐるやうである。戦地に於ても、特務部のブレントラストの一部はこれらの人々によつて占められてゐる有様である。
 それもよからう。結局、性格と気質が、先づかやうな雰囲気に適してゐるとみていゝからである。ところで、わが日本の思想的チャンピオンは、もともと中正にして転向を必要としなかつた人々のなかにもある筈である。
 それらの多くが、自由主義者の名を以て葬り去られる原因は、彼等が少しばかり拗ねてゐるからに外ならぬと私はにらんでゐる。それは必ずしも時局の風に顔をそむけてゐるのではなく、寧ろわが指導階級の「教養」に対する軽侮に酬ゆるためであることを私は彼等のために弁ずるものである。
 日本は今、知識階級の奮起によつて、事変第二段の事業を達成すべき時期にはひつてゐる。彼等の総力は何人の手によつて動員されるか、それを思ふと私の心は暗くならざるを得ぬ。
 内に正しい文化を推進する力なくして、外にこれを伸ばさうとしても、それは労して効なきわざである。
 希くは、われらと憂ひを共にする若い官吏諸君は、この機会に、職を賭して上司の蒙を啓くことに努力されたい。ジャアナリズムは、その全能をあげて知識層と一般大衆の結合を企図して欲しい。
 軍民協力の実がこれほど挙つてゐるのに、なほ、社会のそれぞれの部門が、背を向け合ひ、時として反撥し、功を競ひ、他を傷つけ、「日本の理想」が何処にあるかを疑はしめるやうな現象が国内に存在することは、かへすがへすも遺憾である。

     直ちになし得ること二三

 そこで、国内改革の急務を察しなければならぬが、その完成は短時日に俟つわけにはいかぬ。われわれは、今日直ちに、支那をどうかしたいのである。支那の民衆と手を握りたいのである。彼地に於て、日本の信頼すべき姿を――少くともその真意において示した
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