術愛好家は、近頃、巴里などにある。これはつまり、近代主義《モデルニズム》の一面であつて、新しいのを縦に求めるかはりに横に求めてゐるだけである。
 僕は固より、日本の芸術を以て、世界に誇るに足るものだとは信じてゐるが、世界の方では、まだちつともさうは考へてゐないのみならず、やうやく浮世絵が珍重されてゐるとはいへ、それも骨董価値を外にして、どれだけ、芸術品としての取扱を受けてゐるか。
 歌舞伎劇を紹介するのは結構だが、それだけの頭をもつて行かないと、骨折損だといふ気がする。
 日本人には変な癖があつて、西洋人が歓びさうなものをわざわざ観せる――自分たちの観せたいものは外にあることを知らずにゐるのである。日本に西洋人がやつて来る。すぐ富士山の話をもちかける。桜の季節でなく残念だなんてお世辞を云ふ。ゲイシヤを見せようと云つて、「お茶の家」へ案内する。日光と京都と奈良と、鵜飼ひと茶摘み(?)と……あとは、座蒲団と箸と、下駄と人力車である。
 この癖がいつまでも直らないと、日本は遂にその正体を西洋人に知られずにしまふかもしれない。
 日本人が西洋に行く。必ず土産を持参する。曰く、浮世絵の翻刻、安物
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