、その仕込みを、うつかり、たゞのステツキのつもりで内地の汽車の中へ持ち込んだものだから下ノ関で私服の刑事に見とがめられ没収されてしまつた。鞘だけでも紀念にとつて置きたいがと相談してみたが許されなかつた。
 惰性といふものは恐ろしいもので、戦地ならなんでもないことが、内地では怪しからんことになるよき一例をまざまざと見せつけられ、大いに心を引き締めた次第であつた。
 保定で識り合ひになり、一夜をかの「野戦カフエー」で共に飲み明かした御用商五十嵐組の若大将が、先日、ぶらりと東京へやつて来て、電話をかけてよこしたから、私は、彼を銀座の某料亭へ案内し、保定のその後の発展ぶりを聴くことができた。
 そのなかで面白い話は、開店の手続に間違ひがあつて、その晩、憲兵にしたゝか膏《あぶら》を搾られ、「満洲へ引返さうか」と途方に暮れてゐたその「カフエー」の女将《をかみ》は、今や、保定第一の女富豪として国防婦人会々長の肩書もいかめしく、部下の女軍を督励して「サーヴイス報国」に邁進してゐるさうである。
 五十嵐君は半ば同伴の若い細君に聴かせるやうに、太原附近で便乗の列車が匪賊に襲はれた話をしはじめた。




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