す表情、それが語られる声の質等によつて、さまざまな陰翳となつて現はれる。更に言葉の選択配列といひ、表情といひ、声の質といひ、いづれもその時と場合で思ふやうに変へられるものではなく、多少の工夫や準備はできるにしろ、大概は表面だけの修飾に終つて、その本質は言葉の底に覆ふことのできない相《すがた》として示されてゐる。人物の面白さ、その個性の閃きが、第一に言葉の魅力となることはこれで分ると思ふ。
 趣味の高さ、情操の豊かさ、感覚の鋭敏さ、信念の固さ、かういふ人間的風格は無論言葉に品位と迫力とを与へるものであるが、また一方、子供の片言や俗語・方言などの中に微妙な愛すべき表現を発見して、これあるかなと思ふことがある。真実の響きといふのは、即ちかくの如きもので、言葉の生命は決して装飾にあるのではないといふ証拠である。

 言葉遣ひといひ、話のしかたといひ、要するにその魅力の本体は、その人間のものの考へ方、感じ方にあるのであつて、いかなる練習も工夫も、お座なりや紋切型の口上に類するものなら、これは凡そ言葉の魅力からは遠いものであることを知らねばならぬ。たゞし、言葉もまた一つの文化的発達を遂げるべき性質
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