、それより、これはなんです、この箱は……。
微々  いや、実は、もつと大きな奴と思つたんですが、取りあへず、郵便箱を、臨時にかう……。
更子  そんなことを伺つてやしません。この文句は、随分、可笑しな文句ぢやありませんか。
微々  悪文で、どうも……。
更子  それより、あなたは、これで、私をまたまた、侮辱なさるおつもりなんでせう。
微々  いや、決して……。
更子  さうです。この絵だけでは、まだ足りないんですか。
微々  僕は、此処にをられる満場の諸君に誓つてもよろしい。この絵は、芸術家の良心に恥ぢないものです。芸術家の魂は、醜いものにすら、美しさを与へます。芸術家にとつて、侮辱に値するものは、たゞ、退屈、これのみです。あなたは、僕に取つて、得難い霊感の泉だつた。それだけで、あなたは、尊い女性だといふ証拠になりませんか。
更子  そんな理窟は伺ひたくありません。たゞ、あたしは、あなたの筆で絵にされたことを、誠に遺憾に思つてゐますの。それだけがおわかりになればよろしいんです。
微々  それだけは、どうやらわかりました。
更子  それぢや、かうしますよ。(彼女は、掲示の貼紙を引き剥がし、慈善箱を足で蹴飛ばす)
微々  あツ、はひつてます。はひつてます。
更子  これも序に、かうです。
微々  は?
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と、云ふ暇もなく、更子は、握り拳を固め、指環のダイヤに力を籠めて、件の絵を斜めに撫で下げる。彩色の中に、白く紙のめくれた跡がつく。
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微々  あつ!
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制しようとするが、もう遅い。更子は、勝ち誇つたやうに、その場から姿を消す。微々は、彼女の後を追ふことを忘れ、一心に絵の傷を手で押へてゐる。
群集のどよめき。(合唱)
六遍とわたるが駈けつけて来る。
新聞記者の一隊が微々を囲んで、切りに質問を浴せかける。武部もこの中に交つてゐる。
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新聞記者A  この処置をどうしますか。
同B  告訴される決心ですか。
同C  損害賠償の金額は?
新聞記者A  これは、しかし、もう売約済ですね。彼女の所有物なんでせう……。
同B  だとすると、損害賠償は取れませんね。これや、問題にならんよ。
同C  そんなことはない。著作権には、作家の人格権も含んでゐるんだ。
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その時、人波を掻きわけて、運転手風の男がはひつて来る。
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男  ちよつと、みなさん、そこをどいて下さい。
六遍  なんです。どうしたんです。
男  天城さんが、今、指環のダイヤを、こゝでふつ飛ばしちまつたんです。その辺に落ちてる筈です。
武部  時価、いくらぐらゐのもんですか。
男  そいつはわかりませんが、拾つて届けて下すつた方には、千円のお礼をすると云つてをられます。
武部  (手帳を出し)なに? 千円……。よし有りがたい。
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人々の間にこの時が伝はると、そこで、群集は雪崩の如く、右往左往しはじめる。何れも、中腰になつて、床の上を見廻す。(合唱)
その光景を前に、漫画家三人は、それ/″\、スケツチブツクを取り出して、写生をする。

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○「トオケウトオキイ」の撮影所。

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ある映画のテストが行はれる。
場面は、多勢の若い女が、一人の青年紳士を取巻いて、盛んに何かをせがんでゐるところ。
監督が――「天城君はまだ来ないのか。どうしたんだ」

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○同じ撮影所内。

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支配人室。――高見計一郎が、社員の一人から報告を聴いてゐる。
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社員  浅草の方はまだ様子がわかりませんが、牛込、神田、四谷、麻布、それから、殊に小石川が素晴しいやうです。開館前にもう満員札を出すといふ騒ぎだつたさうです。この分なら、今からでも間に合ひますから、夜の部へ、一本天城のを差し換へては如何ですか。封切ものは全部出払つてゐますが、「笑はぬ妻」が、倉庫にいくらか残つてる筈です。
高見  無論、さうし給へ。天城更子主演として、別に立看板をこしらへさせるんだね。奴さん、えらい智恵を出しをつた。スタアになつたからと云つて、会社にばかり宣伝を委しておくやうぢや、先がないからな。よし、君は早速その方へかゝるとして、天城をこゝへ招んでくれ。

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○会社の直営常設館。

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何れも客止の盛況を呈してゐる。

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○撮影所。

[#こ
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