が演つて、初めて効果を挙げることができるが、少しへたな役者にかかつたら、すつかりぶちこはされるといふ――さういふ違ひがあるのである。
 そこで、この二つの種類の作家について、どういふことが云へるか。
「あの作家の書いたあの作品は、確かに傑作だ。あんなへたな役者がやつても、あれだけ面白い。ああなると、舞台とか俳優とかは問題でなくなるんだね」
 なるほど、この言葉には真理がありさうだ。
 それでは
「あの作家の書いたあの作品は、あんなへたな役者にやらすべきものぢやない。まるで、佳いところを滅茶苦茶にされてしまつてる。やつぱり、あの素晴らしい場面は、それだけの役者でなければやりこなせないんだね。あの人物の性格からして、普通の役者ぢや、どうしたつて出しきれないよ」
 これも、一応尤もな議論らしい。
 何れも、作者にとつては、有難い、好意に満ちた批評であるが、この結果は、ある種の観客に云はせれば、また違つた観方として現はれるかも知れない。即ち、
 甲の場合は――「面白いね、役者は素人だつていふが、なかなかやるぢやないか……。これなら、どこへ出したつて恥かしくないや」
 乙の場合には――「なんだい
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