ふのではないが、この仕事が、「目的」として価値をもつか、「手段」として価値をもつかが、その学者の純粋さを決定するのだ。つまり、発見者と発明家との分岐点だ。学説と特許願書の相違だ。
然しながら、同じ学者と称せられるもののうちに、なほかつ、この二つの型が存在する如く、作家の仲間にも、明かに、この二つの型があり、劇作家の如きは、概ね、例外なく後者の型に属するものと私は考へる。だが、それは今日までの演劇の「歩み」が、勢ひ、それを強ひたのだ。そして、繰り返して云ふが、この事実は、別に悲しむべきことではない。ただ、演劇の将来が、われわれ自身の問題として横たへられた時、「新しき道は此処にあり」といふ一つの目印として、私は、先づ、劇文学の領域にあつて「純粋な」ものへの方向がまだ残されてゐることを痛感するまでだ。
嘗て言つた如く、演劇は、それ自体、錯綜極まりなき迷路である。如何なる「門」からでも、演劇に入ることが出来、しかも、出口はただ一つなのだ。俳優の門がある。舞台監督の門がある。装置家の門があり、戯曲家の門があり、照明、効果などといふ門もある。
近代のある一時機に於て、戯曲家の門が不当に狭められた。アンドレ・スュワレスの言を俟つまでもなく、「舞台が詩人を駆逐した」時代だ。
しかし、われわれから見れば、現在の日本の有様はどうであらう。「詩人が舞台を棄てた」とも云ひ得るのだ。ここで云ふ詩人とは(断るまでもなく)真の作家の謂だ。
仏蘭西に於て、「舞台が詩人を駆逐した」時代にこそ、黙々として、詩人は、「一人で観る芝居」を書いてゐた。そして、その芝居が、次の時代に、凱歌をあげた。舞台を捨てた日本の詩人等は、今、何をしつつあるのか。少数の消息ではあるが、私は、それを知り得た悦びをひそかに感じてゐる。
○右、翻訳劇の功罪
果して、この秋には、簇々と新しい劇団が生れるとの報道が伝へられた。メンバアとプログラムのみを見て、どの劇団がどうかうといふ批判は差控へよう。私は、どのグルウプにも恩怨はなく、どの看板にも好悪がないのだが、大体、その色分けをしてみると、三通りになる。第一が、新劇畑の俳優が、同志を糾合して、一時中断された仕事を継続しようとするもの。第二に商業劇場に属する若手の俳優が、既成演劇の殻から出て、現代的呼吸を存分に舞台で見せようとするもの。第三に、学生乃至その年頃の青年が、純粋に素人から成る研究劇団を作らうとするもの、即ちこれである。
何れも、演劇貧困の時代的要求から生れたものであるに相違なく、その意気と抱負は、私はじめ、十分認めることができるのだが、甚だ失礼な言ひ草を許して貰へるなら、何れも、凡そ、その結果が予想され、義理でもなければ、観に行く気はしないのだ。
無論、何等かの意味で、今までのものとは変つてをり、余程の新劇ファンか、芝居ならなんでも御座れといふ常連には、相当の感興を与へることと思ふけれど、少し批評的に、或は、やや専門的にその舞台を観れば、一二の俳優の隠れた素質を発見するといふくらゐが関の山で、プロダクションそのものには、お世辞にも感心はできまいと思ふ。なぜそんな乱暴な予言ができるかといへば、結局、この新しい劇団のスタアトに於て、新しい「性根」を見せてゐないからだ。つまり、新劇の所謂新劇たる殻が、どことなく、その「精神」を包んでゐるからだ。この「新劇の殻」といふ問題では、数ヶ月前「劇作」誌上で述べたのであるが、現在の日本は、もう「新劇の殻」を悉く振り捨てなければならぬ時機だ。殻とは何かといへば、繰り返すことになるが、西洋翻訳劇の上演から生れ出た一種名状すべからざる演技上の臭味――外国戯曲の傑作を紹介するのだといふ態度から出た、一種のジャアナリスト的横柄さ、その上、さういふ舞台が時を得た夢のあとで、「あれくらゐのことなら、おれたちにでもできる」といふ舞台を甘く見た安易さ、等々の手がつけられぬカサブタだ。
嘗て築地小劇場の首脳部にあつて、今日もなほ演劇に対する熱情を示しつつある北村喜八氏は、私のこの説を半ば承認され、しかも、それは小山内氏或は築地小劇場の罪ではないと、やさしく弁護を試みられたが、私は、更に、北村氏の説を四分の一承認してもよろしい。それは、この病根は既に、わが国新劇の創始時代から徴候を見せてゐたに相違なく、翻訳劇から出発した新劇の舞台は、それが「紹介的」であると「独創的」であるとに論なく、既に、翻訳につきものの、「概ね正確」なテキストを、「概ね正確」に演じることで満足するより外なかつたのだ。ところが、演劇に於て、殊に、俳優の演技に於て「概ね正確」といふことが、最も恐ろしいことなのだ。
なぜなら「概ね正確」な台詞の言ひ方や身振りなどといふものは、「全く間違つてゐる」のと同じか、或は、それ以上、芝居をぶち毀すのだ。ただ、その芝居を平気で見てゐられるとすれば、その人は、「正確」であると思ひ込んでゐるだけだ。つまり芝居がわからないのだ。北村氏も云はれる如く、たとへ、翻訳劇にその「正確さ」が多少ゆがめられてゐたにもせよ、嘗て、築地の舞台に於て名作の名演出が、十二分の魅力を放つたかもしれない。
しかし、それも、程度の問題で、日本だからと云ふにすぎなくはないか。殊に、忘れてはならないことは相当外国文学の素養があれば、翻訳は、それ自身のもつ欠陥を多少補ひつつ読めるのである。舞台も同様で、その作品を十分翫味してゐれば、演技や演出の不備は、ある場合、自分の幻想によつて塞ぎ得るのである。
兎も角も、過去に於て、日本の新劇が、翻訳劇から出発し、その歴史の大半を、翻訳劇によつて埋めたといふ事実に対して、私は、何等口を挟まうとは思はない。要は、その時代の権威ある指導者が、何故に、今日の結果を予想して、適切な警戒を加へなかつたかと云ふのだ。何故に、完全な日本語を、正確に喋れない俳優を作つたかと云ふのだ。罪を俳優に被せるのもよろしい。たしかに、彼等にも怠慢の罪はあるだらう。修業の方法を誤つたと云つても差つかへない。が、私は、今日、何人の罪を問ふてゐるのでもない。それどころか、過去の新劇指導者が、直接間接、日本の演劇に与へた大きな功績は、北村氏と同様、幾度も、公にこれを認めてゐるくらゐだ。ただ、私の北村氏と異る立場は、先輩に対して、事情の如何に拘はらず、その過失を指摘し得るか得ないか、つまるところ、人情の問題以外にはないのだ。
さて、私と雖も、新劇の病弊を、一から十まで翻訳劇の紹介的上演に帰するつもりはないので、北村氏の説の如く、新劇にたづさはる総ての人間の罪もないことはない。ただ、その話は少し別な話になるやうだ。で、問題を本筋に戻さう。
丁度今、郵便一束の中に「あらくれ」といふ小冊子がはひつてゐた。何気なく、「軽井沢にて」といふ正宗白鳥氏の随筆を読むと、かういふ一事がある。
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「先日、日比谷公会堂で、或新劇団所演の『グランドホテル』を見て、詰らなさの限りであると嫌悪を感じ、こんな芝居でも見なければ時が潰せない自分の生存を呪つたが、或書店で偶然英訳の『グランドホテル』を見つけたので、試みに買つて読むことにした。首尾を通じて面白く読徹した。公会堂の芝居とは比較にもならない。私はあんな芝居を見たために、小説を読みながらも、劇中人物の顔が小説の人物となつて浮ぶので、余程興味を殺がれた。云々……」
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この文事をかういふ目的のために引用したことを正宗白鳥氏にゆるしていただくとして、実は、これを読みながら、今日の新劇なるものの姿が、まざまざと私の眼前に浮んだのだ。劇と小説の違ひはあつても、私の云はうとする主旨は、この印象によつてほぼ尽されてゐる。舞台が観客に与へる魅力について、新劇は、既にその出発点を誤つてゐたといへるし、その誤りに一度も気がつかず、今日まで得々として「翻訳的上演」に、一種の誇りをさへ示してゐる新劇、わがことながら、情けない次第だ。
くどいやうだが、私は、翻訳劇、そのものをけなすのではない。ある場合には、その当然免れ難き不満を忘れてでも、その上演を期待することもある。
私の云はうとするのは、翻訳劇が翻訳であることを感じさせない程度の日本語化と、その日本語の正確な肉声化とが、もう少し周到に訓練されてゐたら、今日の新劇――単に俳優の演技ばかりでなく、戯曲作家の群も、幾分その面貌を異にしてゐたらうと思ふのだ。これは枝葉の問題の如くにして、決してさうではない。今日は、演劇の「頭脳」について考へる前に、その「心臓」に、手当を加ふべき時機だといふことを前提としてである。(一九三二・一〇)
底本:「岸田國士全集21」岩波書店
1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「新潮 第二十九年第十号」
1932(昭和7)年10月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年11月20日作成
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