較にもならない。私はあんな芝居を見たために、小説を読みながらも、劇中人物の顔が小説の人物となつて浮ぶので、余程興味を殺がれた。云々……」
[#ここで字下げ終わり]
 この文事をかういふ目的のために引用したことを正宗白鳥氏にゆるしていただくとして、実は、これを読みながら、今日の新劇なるものの姿が、まざまざと私の眼前に浮んだのだ。劇と小説の違ひはあつても、私の云はうとする主旨は、この印象によつてほぼ尽されてゐる。舞台が観客に与へる魅力について、新劇は、既にその出発点を誤つてゐたといへるし、その誤りに一度も気がつかず、今日まで得々として「翻訳的上演」に、一種の誇りをさへ示してゐる新劇、わがことながら、情けない次第だ。
 くどいやうだが、私は、翻訳劇、そのものをけなすのではない。ある場合には、その当然免れ難き不満を忘れてでも、その上演を期待することもある。
 私の云はうとするのは、翻訳劇が翻訳であることを感じさせない程度の日本語化と、その日本語の正確な肉声化とが、もう少し周到に訓練されてゐたら、今日の新劇――単に俳優の演技ばかりでなく、戯曲作家の群も、幾分その面貌を異にしてゐたらうと思ふのだ。これは枝葉の問題の如くにして、決してさうではない。今日は、演劇の「頭脳」について考へる前に、その「心臓」に、手当を加ふべき時機だといふことを前提としてである。(一九三二・一〇)



底本:「岸田國士全集21」岩波書店
   1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
   1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「新潮 第二十九年第十号」
   1932(昭和7)年10月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年11月20日作成
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