配役に一層の考慮を払ふことがその二つである。そして、最後に、この「超国境的な」脚本を、譬へ翻案にしろ、あまりに「因襲的に」演《や》らせすぎたことである。
 今日、商業劇場に於ける現代劇の破綻は、すべてここに源を発してゐるといへる。現代劇を演ずる俳優は、その姿態動作に於て、ちつとも「ハイカラ」である必要はない。ただ、西洋劇の流れを汲む劇的伝統を自覚し、その演技の根本を会得してゐなくてはならぬ。
 脚本「トパアズ」は、他の意味では兎に角、日本演劇の現在に、一つの平易な教訓を垂れるものであつたのだが、惜しいことに、今度の舞台では、原作の面影を映し得なかつた。
 恐らく、俳優の一人一人も、あの作品を演じたことによつて、新しい何ものをも学び得るに至らなかつたらう。罪は、飽くまでも興行者にある。
 しかし、俳優のうち、一人でも、時代と倶に歩まうとするものがあつたら、劇作家たるもの、まだまだ、仕甲斐のある仕事はあると思ふ。劇壇暗黒を嘆ずる代りに、われわれは、先づ、独り、明るみに出なければならぬ。(一九三一・七)



底本:「岸田國士全集21」岩波書店
   1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
   1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「新潮 第二十八年第七号」
   1931(昭和6)年7月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年11月20日作成
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