ある人があると思ふから、私は、私流の、といふのはつまり、かういふ時代に生れ合せた一個の劇作家乃至劇作志望者が如何なる態度で、当面の事実に処するのが最も適当であるかといふ、甚だ消極的な問題のみを解決してみたいと思ふ。
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第一に、劇作を断念することである。
第二に、「読む戯曲」のみを書くことである。
第三に、「未来の俳優」を頭において、理想的と思ふ脚本を書くことである。
第四に、「現在の俳優」に適した「歌舞伎式」「新派式」「素人劇団式」等々の脚本を書き、座附作者の職能を完全に遂行することである。
第五に、「現在の俳優」にも演じられさうな、多少新味ある脚本を書き、徐々に「現在の演劇」を向上させることである。
第六に、「現在の俳優」を使ひ、彼等特有の演技を極度に生かすことによつて、形式内容共に、新時代の演劇たるに応はしいやうな、一個独特の日本劇を創造することである。
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まあ、ざつと、今日の劇作家は、これら六通りの道の何れかを選ばなければならぬものとして、
第一は、既にぼつぼつ実行してゐる人もあるやうであるから、説明は不要であらう。
第二は、別段心がけなくても、大概、そこへ行くのであるし、また、実際のところは、何人も、これが「読む戯曲」だとは云ひ切れない性質のものであるから、自ら、「読む戯曲」を標榜して書くといふことは、ただなんとなく勇ましいだけで、そのために、後悔することはないであらう。
第三は、これは昔から、といつても「新劇の揺籃時代」以後、日本などでよく用ひられた宣言らしく、私なども、今もつて、心の一隅に、さういふ悲壮な決意を蔵してゐる次第だが、残念ながら、「未来の俳優」は、おほかた、「未来の作家」のものをやるだけで相当忙しいであらうし、その時は、われわれの古い脚本などは役に立たず、また覚えてゐてもくれないに決つてゐる。しかし、滑稽に見えさへしなければ、一応、今日の劇作家は、これくらゐの空想を描いてゐて差支あるまい。特に、私は、今日天才作家が現はれるとしたら、是非この覚悟で文字通り不朽の傑作を残しておいて欲しいと思ふ。
第四は、劇作で生計を立て、俳優を知己にもたうとする野心家のために、永久に開かれた唯一つの安全な道である。
第五は、誰でも考へてゐさうで、しかも、今日の若い作家は
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