つたサルマンが、ポオの搾取に遇つてゐたわけである。それは表面の問題で、実際、二十を越えたばかりのサルマンが、自作を上演して貰へると知つたら、どんな契約にでもサインしたに違ひない。処が、其のお蔭で、此の青年は新進作家の錚々たる列に加へられる。さうなると、もうポオから小僧扱ひにされるのが癪に触る。そのうちに、出世作「影を釣る人」を持つて細君と一緒に旅行がしたくなつた。ポオが承知しない。契約書をつきつける。制作劇場以外では上演しないことゝ書いてある。一度制作劇場を飛び出したサルマンは、将来自作を自分が演ずることはできないわけである。そんな無法な話はない。こゝが論争の起点である。アントワアヌやベルンスタインなどが頻りにサルマンの肩を持つてポオの横暴を責めた。ポオは飽くまでも契約書と、二人の関係と、当時の情誼的交渉とを楯に取つて譲らない。制作劇場でなら何時か上演する。それ以上云ふことはないと頑張る。その間に、今日まで作者に支払つた上演料などの真相が暴露して、サルマンに同情するものが殖えてくる。サルマンはたうとう劇作家協会に加入して、その力を藉りることになり、結局、云ひ分だけは通つたが、少々男振りを下げた。偉くなると昔のことは忘れたがる。相手は、昔のことばかり云ひたがる。お互にわるい癖だ。
 一方に、大家あり、流行作家あり、一方に駈出しあり、不遇の自称天才あり、これを総称して劇作家と云ふも、その実は、全く別種の人間である。一方が王侯の生活を営み一方が道ばたの溝掃除に等しい暮しをしてゐるからと云つて、それがあながち不公平だとは云へないわけである。然るに、弱いものが集つて団体を作り、少し強味を感じ出すと、その団体は頭と尾と妙に反りが合はなくなる。その団体はつまり頭のためにのみ存在するやうな観を呈して来る。尾の方が、それでは承知しない。此の尾の方に属する連中が、頭の連中に対抗して更に一団を形ることになる。それが、新しく起つた劇作家組合である。つまりプロ劇作家協会である。プロ劇作家は左傾党である。従つてサンヂカリズムの共鳴者であるのみならず、モスコオの国際労働組合と気脈を通ずる連中である。早く云へば革命党である。この革命党、政治的主張は、甚だ過激であるが、職業の立場からは、なかなか如才がない。一方、筋肉労働者と握手して、君等こそ、われらのカマラアドと誓ひを立てながら、組合で劇場を立てる
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