劇場主に対して、出せ出さぬの押問答は無益である。コルネイユは自作の上演料だけで生活は出来なかつた。その後、上演料に関する劇場の内規が出来はしたが、勿論、俳優殊に劇場主本位のものである。十七世紀末、勅令によつて作者に支払ふべき上演料を決めたが、多くの例外規則が出来て、作者は常に虐待され勝ちであつた。
 此の状態から劇作家を救つたのが、「フィガロの結婚」の作者、ボオマルシェである。彼は宣言した。「成るほど、名誉は有難い。然し、その名誉を、たつた一年間背負ふために、三百六十五日、飯を食はなければならないことを忘れて貰つては困る。軍人や裁判官が、堂々と俸給を貰ふのに、どうしてミュウズの情人どもは、パン屋の勘定に苦しめられながら、役者たちと金の談判が出来ないのだ」一七七七年、デュラの後援を得て、劇作家協会を設立した。ディドロは、その隠退所から盛に声援したものである。
 劇作家の利権は、漸次法律によつて擁護されるやうになり、例へば、上演料も、作者生存中支払ふべき規定が、作者の死後十年間、遺族がこれを受くべきことに改正され、次で、それが五十年まで延ばされるに至つた。処で、五十年後は、如何なる作品も公衆の所有に帰するわけであるが、それもなほ、現存作家の利害問題に関すると云ふので、一代議士は、先年、五十年以上を経過した作品と雖も、その上演料(或は印税)は文芸奨励資金として事業家より徴収すべき法律案を提出した。
 五十年と云ふ作家遺族の利権は、屡々、論議されたが、その長きに過ぐと云ふ説に反対して、「文学者の子孫は、概して、父祖の精神過労による健康上の影響を受けて、生活能力の微弱なことが統計上示されてゐる。従つて、父祖の恩恵を蒙るべき期間は、他の場合と同一に視てはならない。」と云ふ社会的主張が勝を制したと云はれてゐる。
 そこで、上演料に関する現行規定であるが、実際は、各契約に於いて協定されるので、作品の価値、殊に作者の名によつて、更に劇場の性質によつて差異がある。たゞ、あくまでも、一興行収入(純益に非ず)の歩合制度を守つてゐる。その歩合は、八乃至一八パーセントの間を上下してゐる。例へば、ポルト・サンマルタン座は一〇パーセントと云ふ規定であるとすれば、一晩の収入が二万法以下のことはないのだから、二千法になる。一晩三百円なら、そんなに悪くない。
 劇場主と作者との契約に於いて、此の歩合を決
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