る。稍々一本調子のきらひ[#「きらひ」に傍点]はあるがそれだけあぶなつけ[#「あぶなつけ」に傍点]がなく、いくらか平凡にはなるがそれだけ自然さがある。成功であると思ふ。
田村秋子嬢のルーカは、あゝ何時もすね[#「すね」に傍点]てゐなければならないであらうか。だからほんとにすねる[#「すねる」に傍点]時にそのすね[#「すね」に傍点]がきかなくなる。よくあることだ。
小川昇氏は暗がりにばかりゐるので、よく見えなかつた。
要するに翻訳劇を日本でやるとすれば、先づ第一に脚本の銓衡、翻訳者の名前に囚はれないで、上演に適した翻訳であるかどうかを吟味することが必要である。こんなことは云ふまでもないことであるが、此の誤りは遂に俳優を窮地に陥れるものである。あの間伸《まの》びのした台詞廻し、朗読の範囲を一歩も出ない抑揚緩急、科《しぐさ》と白《せりふ》との間に出来るどうすることも出来ない空虚、これ等は前にも述べた戯曲の文体から生ずる欠陥である。
私は日本の近代劇が先づ此の点で大きな障害にぶつかつてゐることを痛切に感じる。
芸術座の予告によるとアンドレーエフ氏作吉田甲子太郎氏訳『殴られるあいつ』は「新劇には珍らしい非常に面白い悲劇」だとある。名作『殴られるあいつ』が名訳者吉田甲子太郎氏の筆を俟つてきつと非常に面白い舞台効果をあげることゝ信ずるが、それにしても「新劇には珍らしい……」と云はれた「新劇」こそ一言なかるべからずである。
九日の晩『殴られるあいつ』を見る筈であつたが、『軍人礼讃』を見ての帰途、大雨に遭つて、軍人の恨みか雨の祟りか、四十度近い熱にとりつかれ、遺憾ながらここでその感想を述べる事が出来ない。
底本:「岸田國士全集19」岩波書店
1989(平成元)年12月8日発行
底本の親本:「我等の劇場」新潮社
1926(大正15)年4月24日発行
初出:「演劇新潮 第一年第五号」
1924(大正13)年5月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:Juki
2005年11月23日作成
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