ない。僕は、第一に、この仕事から、偶然ではあるが、一人の、未だ世に知られざる才能を発見し得たことを悦ぶものである。「街」の同人、坪田勝氏こそは、われわれの時代が見落してはならない劇作家であらう。
然しながら、僕の望んでゐたものが、坪田氏によつていくらか充たされはしたものゝ、「トロイの木馬」一篇が、僕の求めてゐた戯曲そのものであるとはいひ切れない。僕の勝手な注文が許してもらへるなら、坪田勝氏の「言葉」をもつて、川端康成氏の「第四短篇集」(文芸春秋)が戯曲化された時、僕は、無条件に頭を下る。
なほ、これは命ぜられた仕事の範囲を超えるやうだが、文芸時代で稲垣足穂氏の「ちよいちよい日記」といふ小説を読んで感心した。感心したゞけでなく、一寸した発見をさへしたのである。すなはち、稲垣氏は、立派に戯曲の書けるんだといふことを。あの会話が生みだすユニツクな劇的シインを見給へ。一疑問符のかもしだす幻象《イメージ》の深さを見給へ。しかしこれは、一寸した発見に過ぎない。なぜなら、これは稲垣氏に何ものをも加へることにならないであらうから。
連日、傍若無人な言辞をろうして、他人の作品を褒めたりけなしたりした男が、事もあらうに、同じ月の「女性」所載「葉桜」の作者であることは誠にもつて笑止千万である。本来ならば、泣いて馬謖を斬るべきところであるが、それではまた、あまりに芝居が過ぎるとの非難もあらう。よつて、畏友T君をしていはしめる――あの母親は、男性的な女性だといふよりも、女性的な男性だね。それから、幕切れは、もつと、ストイツクな幕切れであつて欲しいね。娘が泣き崩れるのは困るね。――こと/″\く賛成である。
かうして見ると、月々如何に多くの小戯曲が、生れては消え、生れては消えしてゐることだらう。自分の書いた戯曲が永久に舞台に上らないことを知りつゝ、平然と戯曲を書き続けてゐる一群の若き作家があることをも、世人は知つてゐなければならない。
底本:「岸田國士全集20」岩波書店
1990(平成2)年3月8日発行
初出:「東京朝日新聞」
1926(大正15)年4月14、15、16、17、20、21日
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年10月6日作成
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