作品が書けないのではあるまいか。
 一般に、文壇の不振を唱へられる折柄ではあるが、就中、戯曲作家の不勉強は、自分だけの気持から推してもさういふ外面的の事情が、大きな原因の一つになつてゐるやうに思はれる。
 早く云へば、「今日の舞台」に多くの不満をこそ感ずれ、その中から、殆ど何等の刺戟も受けない今日の戯曲作家は、知らず知らず感興のない仕事に引ずられるか、又は、感興がないから、仕事をしなくなるのである。
 固より才能の問題もある。然しながら、何処の国で、何といふ劇作家が、その時代に於けるその国の舞台に興味を持たないで立派な仕事をしたか。殊にまた、何時の時代に、どういふ劇作家が、自分の信ずる俳優、又は、自分を理解する俳優なしに、その作品の価値を世に問ふことができたか。
 僕は、必ずしも、所謂「戯曲時代」の去ることを悲しまない。寧ろ、それは当然なことだと思ふ。たゞ悲しむのは、あの華々しい「戯曲時代」の後に来るものは、恐らく、更に大なる新劇の暗黒時代であるに違ひないといふ一事である、だが、その結果、現在の所謂、新劇が滅び去るとすれば、それはそれでもいゝ。畸形児の夭折は、或る意味に於て「双方のため
前へ 次へ
全3ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング