ゐるのである。
やや予言めくが、かの、トオキイの出現はなによりも、その機運を促進させるのではないだらうか。理由は簡単である。そこには、翻訳劇の埋め合せをするものがあるからだ。
さてまた、この辺であと戻りをしよう。
私は、この文章の中で、しきりに、「文学的」といふ言葉を用ひた。ことによると誤解を招くと思ふから、もう一度、その意味を明らかにして、次の議論を進めて行かう。
早速例を挙げることにするが、仏蘭西十七世紀の大作家に、ボッスュエといふ博学な坊さんがある。この坊さんは、職業柄、その書くものは、文学として類の少い「弔詞」といふ形式であり、これがまた仏蘭西古典文学の傑作である。
この「弔詞」は、私の見るところでは、小説よりも、戯曲に近く、誠にルイ十四世時代の「演劇時代」を思はせるものである。これを若し、戯曲の中の、更に特殊な一形式に結びつければ、云ふまでもなく、「独白《モノロオグ》」なのである。ラシイヌ、コルネイユの有名な「長白《チイラアド》」も亦、これに髣髴たるものがあると云へよう。
また、同じ時代の、卓抜な閨秀作家、ド・セヴィニエ夫人の同著作は、悉くこれ、「書簡」である。彼女の娘に宛てた惻々たる母の声だ。舞台的独白の一見本だ。
これらの二作家は、何れも、その文学的稟質に於て必ずしも「戯曲家の息《スツフル》」を感じさせるとは云へないが、偶々、かくの如き特殊な形式を選んだことによつて、「戯曲的」領域にまで、その才能の一端を光らせてゐるのである。
ところが、同じく「書簡」を通じてみたフロオベエルや、夏目漱石などになると、その文体のもつリズムが、「戯曲的な」何ものをも感じさせないのみならず、ここでは、却つて、「小説的」な事象の把握が目立つて来る。
そして、極端な例になると、名小説家モオパッサンの「戯曲」なるものが、「戯曲的」に、申分なく「月並な」ものであり、谷崎潤一郎氏の傑作「盲目物語」が、その「独白」といふ戯曲に近き形式に拘はらず、意識的にもせよ、見事に「戯曲的」な分野から離れてゐるのである。
そこで、私は、ひそかに思ふのであるが、「戯曲的表現」を生む作家の稟質といふものは、「小説的表現」を生むそれと、同時に、裏表の関係で一作家のうちに存在し、ある作家は、主にその一面を、またある作家は他の面を育て上げて行くのではないか。そして、その両面に挟まれた部分が、創造的中枢の働きをする一個の詩的精神に違ひないのだ。
このナイィヴな比喩を、思ひ切つて、もう少し敷衍させて貰ふ。
この両面は、文学的活動の総ての面ではないが、やや対蹠的な位置にあるもので、その活動期は、自然に委す時は、作家の年代に応じて、「小説面」が先へ、「戯曲面」がやや後れて来るものであるらしい。これは、前に述べた創造中枢の訓練が、先づ「抒情詩の面」を通じて行はれ、次で、小説の面といふ順序を踏むのが普通であり、戯曲の面は最も複雑で殻が固いといふやうな理由から、その面を通じては、余程の天才か、文学的壮年期に達した作家でない限り、内にあるものを滲み出させ、外にあるものを吸収することが困難なのである。そこで、大方の凡庸な才能は、若年にしていきなり戯曲に手を染めたが最後、ただ、その面の処理と飾り立てに忙殺され、遂に、僅かでもあつた文学的創造の芽を、むざむざ枯らしてしまふのである。
この一項の結論を急げば、年少にして文学に志すものは、先づ抒情詩の面に熱情を集中するのが自然であるが、偶々、これを飛び越えて、小説の面に興味が触れたとしても、それはまだ、多少の「背伸び」によつて、「小説らしきもの」を書くことができるであらう。しかしながら、万一、二十歳にして戯曲に傾倒し、自ら、筆を執らうとするものがあつたら、先づ、天才の折紙をつけて貰はなくては、危険である。
これは、要するに、戯曲家的稟質の成長は、想像よりも観察に負ふところが極めて大からである。
この一文は、「戯曲及び戯曲作家について」時評的な感想を纏めるのが目的であつたが、徒らに、空言を弄した傾きがないでもない。殊に、読み返してみて気になるのは、聊か傍若無人な八つ当りだ。読む人によつては滑稽であらうが、私は、この蕪雑な感想を、将に興らんとしつつある新戯曲時代のために「捧げ」たつもりだ。
「月並で、しかして、偉大」な戯曲が一つでも出てくれれば、私は、黙つて引退らう。(一九三二・六)
底本:「岸田國士全集21」岩波書店
1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「新潮 第二十九年第六号」
1932(昭和7)年6月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年11月20日作成
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