、創造的中枢の働きをする一個の詩的精神に違ひないのだ。
このナイィヴな比喩を、思ひ切つて、もう少し敷衍させて貰ふ。
この両面は、文学的活動の総ての面ではないが、やや対蹠的な位置にあるもので、その活動期は、自然に委す時は、作家の年代に応じて、「小説面」が先へ、「戯曲面」がやや後れて来るものであるらしい。これは、前に述べた創造中枢の訓練が、先づ「抒情詩の面」を通じて行はれ、次で、小説の面といふ順序を踏むのが普通であり、戯曲の面は最も複雑で殻が固いといふやうな理由から、その面を通じては、余程の天才か、文学的壮年期に達した作家でない限り、内にあるものを滲み出させ、外にあるものを吸収することが困難なのである。そこで、大方の凡庸な才能は、若年にしていきなり戯曲に手を染めたが最後、ただ、その面の処理と飾り立てに忙殺され、遂に、僅かでもあつた文学的創造の芽を、むざむざ枯らしてしまふのである。
この一項の結論を急げば、年少にして文学に志すものは、先づ抒情詩の面に熱情を集中するのが自然であるが、偶々、これを飛び越えて、小説の面に興味が触れたとしても、それはまだ、多少の「背伸び」によつて、「小説らしきもの」を書くことができるであらう。しかしながら、万一、二十歳にして戯曲に傾倒し、自ら、筆を執らうとするものがあつたら、先づ、天才の折紙をつけて貰はなくては、危険である。
これは、要するに、戯曲家的稟質の成長は、想像よりも観察に負ふところが極めて大からである。
この一文は、「戯曲及び戯曲作家について」時評的な感想を纏めるのが目的であつたが、徒らに、空言を弄した傾きがないでもない。殊に、読み返してみて気になるのは、聊か傍若無人な八つ当りだ。読む人によつては滑稽であらうが、私は、この蕪雑な感想を、将に興らんとしつつある新戯曲時代のために「捧げ」たつもりだ。
「月並で、しかして、偉大」な戯曲が一つでも出てくれれば、私は、黙つて引退らう。(一九三二・六)
底本:「岸田國士全集21」岩波書店
1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「新潮 第二十九年第六号」
1932(昭和7)年6月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年11月20日作成
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