して、細密に計画されてあると思はなければならないからである。
僕はこれまで、戯曲の名訳なるものを二三知つてゐる。そして、それらは、何れも世の識者を感嘆せしめ、訳者の名を頓に高からしめた。辰野、鈴木両君訳の「シラノ」がその一つである。
僕は、今、それらの光栄ある名前のうちに、畏友岩田豊雄君の名を加へたく思ふ。尤も、僕がわざわざ加へなくつても、もうとつくに加はつてゐると云はれればそれまでであるが、世人はまだ、この戯曲翻訳の天才を十分認めてゐないやうな気がする。その証拠に、僕は、まだ、彼の名が批評家の筆にのぼつた噂を聞かない。
岩田君は、僕などと違ひ、日常、家に在つて朝起きるから夜寝るまで、子供を叱るにも、細君と相談するにも、かの仏蘭西戯曲の言葉を駆使し、夏の日中は、われ等と同じく浴衣の裾をまくつて毛脛を現はしてゐるにも拘はらず、軽やかにペンを走らせて、巴里なる世界的旧友ゴンチャロヴァ女史に手紙を認めるのである。
この岩田君、生来の江戸ツ児弁、急き込めばやや吃り、酔へば不良少年の如く舌足らずになるが、文章を書かせると流通無礙、多彩な語彙を近代的テンポに乗せて、やたらに読者の息をはづませる。
彼は、既に、ヴィルドラックを訳し、コクトオを訳し、ピランデルロを訳し、ジュウル・ロマンを訳し、アシャヤアルを訳し、そして、また、これからいろいろ訳さうとしてゐる。試みに、ピランデルロの「作者を探す六人の登場人物」を読み給へ。なほ、試みに、ジュウル・ロマンの「トゥルアデック氏の放蕩」を読み給へ。今日まで、純粋な現代語を以て、かくの如き生彩ある翻訳を成し遂げたものが一人でもあつたらうか。なるほど、現在の日本は、この名訳戯曲を舞台に上せるべくあまりに舞台的材料を欠いてゐる。然し、僕は、彼が、今日まで日本の俳優を用ひて、長く演出なる仕事に従事しなかつたことを幸だと思つてゐる。なんとなれば、これらの戯曲を翻訳するに当つて、「仏蘭西の俳優が日本語で演ずるとしたならば」かうも訳すべきだといふ訳し方を選び得たからである。
翻訳戯曲の類を絶したものである。敬服に値する。(一九二八・一〇)
底本:「岸田國士全集21」岩波書店
1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「悲劇喜劇 創刊号」
1928(昭和3)年10月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年11月14日作成
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