り込んだことで聊か慰められるであらう。
 独逸国民劇の創始者レッシングは、シェイクスピヤを以て範とし、従来の仏蘭西劇及びその模倣的傾向を一掃しようと企てた。なるほど、彼の評論集に収められた劇評によつて、当時ハンブルグ国民劇場だけで上演された脚本の比例を見ても、仏蘭西劇が大部分(約三分の二)を占めてゐるといふ有様である。その中でヴォルテエルのものがなかなか多い。そして、不思議なことには、ラシイヌが一つもないのである。序にもう少し新関良三氏の「独逸劇の特質」を参照すれば、ゲエテはヴォルテエルの悲劇を二つも訳してゐる。一方では、シルレルがラシイヌの「フェエドル」その他を訳してゐるさうである。が、何れも、仏蘭西劇の味方ではなかつたらしい。この辺の事情は、なかなかややこしいのであつて、それならこの二人が、仏蘭西劇の影響を絶対に受けなかつたかといふ問題になると、もう一度新関氏にお尋ねしてみなければわからなくなる。
 話を先に進めよう。独逸にはやがて、所謂シュトゥルム・ウント・ドランクの時代が来る。仏蘭西にも亦、十八世紀後半に於て、演劇革新運動の第一声が挙げられる。
 ニヴェル・ド・ラ・ショオセ(〔
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