逃してはならぬ。
 さて、十九世紀に於て、最も素晴しい発展を遂げた小説文学は、物質文化の成長とこれに伴ふ科学万能の精神に刺激され、次第に、機械的人生観の立場から個人を観、社会を取扱ふやうになつて来た。この傾向からバルザックを初め、フロオベエル、ゾラ、ゴンクウル、ドオデ、モオパッサン等の非凡な才能を生んだが、彼等は各々ある時機に於て、一度は劇作に筆を染めたのである。ゾラの如きは、後に「演劇に於ける自然主義」なる一書を公にし、大いに、舞台の写実化を宣伝した。が、何れも、その作品は戯曲的生命に乏しく、凡作の域に止り得るものすら稀であつた。
 ところが、デュマ及びサルドゥウを友とする株式仲買人アンリ・ベック(Henry Becque, 1837−99)が、中年をすぎて、小遣取りにオペラの台本を書くことを思ひ立ち、やがて二篇の小喜劇を経て、遂に近代写実劇の典型、「鴉の群」を発表するに至つた。フロオベエルがかの「ボ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]リイ夫人」に於て成し遂げたところを、彼は、戯曲に於て完全に近くこれを示したのである。が、この二作の上演は、一般から冷淡な眼で迎へられた。この初めて舞
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