窒 moderne といへば、コンスタンチノオプル攻略(一四五三年)から仏蘭西革命(一七八九年)迄をいふのであるから、その後は「現代」の部にはひるわけである。それなら、「近代劇」とか、「近代文学」とかいふ名称は、文学史的分類である以上、歴史的解釈に従ふ方がいいやうでもあり、また、「近世」といはずして、特に「近代」といふところに、寧ろ文学的ニュアンスをもたせ、近世のうちでも特に現代に近い部分、或は現代を含めた最も「近代的」近代を意味するやうにも取れるのである。
が、それと同時に、われわれが、近代文学、殊に近代小説とか近代劇とかいふ場合、それだけではまだこの言葉の概念を掴み得たとはいへないやうに思ふ。なぜなら、それはもう、時代そのものの年代的穿鑿を離れて、寧ろ、「近代的」なる質乃至色調の問題に重点をおくのが常識であり、更に、一歩進めて、近代小説といふ言葉よりも近代劇といふ名称の方が、一層、ある限られた、一と纏めになつた、特質のはつきりした部門を指してゐるとも考へられる。つまり、「劇」に於ける「近代的」要素は、小説に於けるそれよりも、何か目立つもの、浮き出たもの、ある一定の方向をとつてゐ
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