すが、その少年たちはヒツトラー・ユーゲントがあゝいふ恰好をして日本に来たことも知つてゐますし、東亜の指導者であるといふ矜りももちたいでせうし、少年としてそこに一つの生活への憧れもあるだらうし、さういふものが「この服を」といふ単純な表現をとつたに過ぎないと見られるのです。例へばその時に、今日本は貧乏なんだから、君たちにもつと立派な堂々たる服装をさせてやりたくとも、それができないのだと一言説明してやれば、少年たちは満足すると思ふのです。強ひてよい服を着せなくとも、それでつまり、文化的な要求を充したことになるわけです。彼等の要求が何処にあるかを感じ取る人に指導されたら、今のさういふ勤労階級の青年たちはグツと希望をもち、勤労にも喜びを感じ、さうして自分たちは国家のためにやつてるのだといふ自覚が盛り上つて来る。そこの呼吸が大事ぢやないかと気がつきました。
勤労の面に於る文化についてはあらゆる角度から考へなければならないので、非常に複雑ですけれども、いろいろなことを詮じ詰めて行くと、先づ第一には申すまでもなく仕事がもつとうまくできればよいといふこと。それがやはり文化的な向上です。もう一つは、仕事
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