分生かすやうに考へなければならん。勤労だけを特に切離して取上げる場合にはすぐ経済問題などとの関連が生れるわけですが、私どもとしては、先づ右のやうな観点から勤労文化といふ問題を考へてをります。
勤労者といふ言葉が、単に工場の労務者といふやうな多少狭い意味に使はれてをるやうですが、勤労といふのはよい言葉で、われわれ働く者は皆勤労者として仕事をする。その仕事の領域に於る問題を、所謂文化的に考へて行くといふやうな意味合で、この言葉を使ひたいのです。勤労文化といふ問題を工場の労務者といふ面だけで取上げて行くと、農業方面とか、或ひは会社のサラリーマンといふやうな側がお留守になり、そちらの方面でまた別々な勤労文化を作らなければならんことになりますから、一方だけでこの言葉を独占しないやう、この問題は総体的に広く考へることにしたいと思ひます。
そこで、勤労者はその生活を中心として絶えず何かを求めてをります。求めてゐるものは何かといへば、それには二つの意味がいつでもあると思ふのです。先づ、何かゞ今足りないといふこと、それから、その足りないものを要求してゐるといふこと、この二つです。ところが、要求してゐ
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