お先へ」
 無銭遊興者の後姿は寂しい。
 彼も遂に、道楽の味を解しないと見える。
 そして、このおれに、二度頭を下げた彼
 憫れむべき無銭遊興者、この野郎!
 おきみちやん、もう何んとか云へよ。

 寄せては散らし、散らしては寄せ……
 あゝ、此の妙技、老ひたる母に見せたし。
 彼女は云ふならん――
「お前、何時の間に、そんなに玉突が上手になつたんだえ」と。
 おれは云ふならん――
「えゝ、でも、もつと上手な人がゐますよ」
「ほんとかい」と彼女は、疑ふならん。
 それから、わが愛する妻に見せたし。
 彼女は云ふならん――
「まあ、あなた、玉突が、そんなにお上手だつたの」と。
「うん、なあに、これくらゐはね」

 仏人オマアル氏著「球戯考」の序文に曰く
 ――春宵朗らかに球を撞けば、胸に愁ひあるを忘れ、秋夕粛やかに棒《キユウ》を滑らせば、頭痛忽ちにして去る――と。
 オマアル氏よ、貴国には、帽子を被りたるまゝ、それも鳥打を阿弥陀に、ノンシヤラシヤラとウスキンを覘ふ男ありや。

 コチン、ストン……。
 ブル、ブル、ブル……火事でも起れ。

 来たぞ、万年玉が。
「みいつ…………むうつ…………こゝのおつ…………十二…………十五…………」
 二つの赤玉が親しげに寄り添つてゐる。
 一つが動けば、もう一つも、慌てゝからだをすりつける。
 寄つたはずみに、軽くキツス。
 手玉は、しつつこく、二人の肩を小突く。
 小突かれて、またキツス。
 白玉が、一つ離れて、向うの隅に、クツシヨンの陰に、ぼんやり蹲んでゐる。
 手玉が、それを呼びに行くと、拗ねて、くるりと、逆にまはる。
 手玉は、気を腐らして、ぶらぶらと道草を食ふ。やがて、途中で寝そべる。

「はい、お茶、よく出なくつて、どうも」
 湯上りのお神さん
 独り者にしては、はしやぎすぎるお神さん
「今日は如何です」
「…………」
「お当りですか」
 見ればわかる――と云はずに、
「お神さんは、一体いくつ……」
「へ?」

 押しクツシヨン
 ひねり込み
 縦返し、切り返し
 初キユー突つ切り
 当り残り
 一たて、二たて、三たて
 一あがり、二あがり、…………三さがり。
 ――裏は「初音」か、「ことぶき」か。

「××さん、こちらとお一つ……」
 こちらと云はれた無髯の大男
 やをら
 棒のしごき、あざやかに
「御免」――と
 
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