価値に応ずるものでなければならぬ。国民生活の発展的な表現を、国家がより以上大切に育くまなければならぬといふことはわれ/\が叫んでも無駄なのであらうか?
日本に遊ぶ外国人は、東京の数多き劇場が、一つとして教養ある人々の足を向けさせないといふ現象に苦笑するのである。能や歌舞伎を観てお世辞をいふ西洋人は、これらの演劇形式が、現代日本の国民精神を表象したものでないといふことを知つてゐるかゐないか、少くとも、日本人自身は、これらの骨董的芸術を褒められて好い気になるのは可笑しな話である。
歌舞伎の海外進出は、この意味で、私は有難いとは思はぬ。浮世絵が代表する日本美術の世界的評価を、わが国の識者は誇つてゐるやうであるが、私にいはせれば、これが抑も日本といふ国を西洋人に誤解せしめるはじまりなので、欧米の大衆は、これを「日本風俗」の写生として好奇の眼を見はるだけである。そして、時代的変遷などはどうでもよく、なるほど日本といふ国は「可笑しな」国だと思ふのである。
こゝまで来たからいふが、日本文化宣揚は、どうか、日本が特殊国であり、世界に類例のない文化をもつてゐることを吹聴する代りに、日本人も亦「あらゆる人間的感情」を理解し、神秘よりも真実を、体面よりも正義を愛し、等しく近代文化の建設に参与し、人類の理想と幸福のために相当な努力を払ひつゝある国民であることを強調して貰ひたい。
民族の精神的特色は、もしそれが誇るに足るべきものであるなら、こつちから見せびらかさなくとも、其民族の現代的面貌のなかにこれを発見し得るのみならず、必要に応じて向ふから探しに来るものである。お客に御馳走をし過ぎて子供を饑ゑしめる勿れである。
ある人は云ふ。それなら現代日本が欧米諸国に向ひ、これこそ新興日本の芸術であると云つて紹介し得るものがあるか、と。さうなると議論がむづかしくなるから、こゝで別にその問題には触れぬが少くともそれだけの説をもつてゐるなら、現代日本の芸術的生産が何故に海外向きでないかを一考すべきである。そして、更に、最も手近な映画が、何故に、国家の体面を汚がす程度のものであるかを検討してみるがよい。
文部省の義務教育延長は大いに賛成であるが、庶政一新の翼を、もうひと息、芸術擁護の域まで拡げて欲しいと思ふのは私だけであらうか。
大日本映画協会、国際映画協会、その他、各省の文化映画製作の機関は、それぞれの職能と方針があるにせよ、私が以上述べた根本の問題についても、時機を失せず、相互の理解と連絡の上にたつた慎重な研究を進めて貰ひたい。
非常時と俳優養成――これは凡釣り合はぬ題名のやうであり、場合によつては一笑に附せられさうであるが、私は、今こそ、これを大声で叫びたいのである。どつちが後で笑ふ番になるか、といふぐらゐの信念をもつて、この一文を草した。
底本:「岸田國士全集23」岩波書店
1990(平成2)年12月7日発行
底本の親本:「東京朝日新聞」
1936(昭和11)年12月8〜11日
初出:「東京朝日新聞」
1936(昭和11)年12月8〜11日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年11月12日作成
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