切れる前に脱いだ方がいゝ。さもないと、向ふから離れて行く。
十二月二十九日
如何に多くの人間が自殺を思ひ立ち、そして写真を破るだけで満足したことか。
一八八九年四月四日
ユイスマンス作「ヴアタアル姉妹」。これは亜鉛《ブリキ》のゾラ、擬ひの自然主義だ。
四月十日
ブウルジユワを唾棄するのはブウルジユワ的だ。
五月二十九日
人間! あゝ、もう小便が出たくなる。
一八九一年三月七日
おれはなんにも読まない。いゝものにぶつかるのが怖いので。
おれの微笑は黄疸にかゝつてゐる。
一八九六年八月(日付なし)
おれは、素人劇作家の劇しか好まない――ミユツセ、バンヴイル、ゴオチエがさうだ。サルドウウ、オオジエ、デユマ、これなら、寝床の方がましだ。
十一月九日
毎日つけてゐるこのノートは、おれが何時か書くかも知れぬ「碌でないもの」を、無事に「堕すこと」だ。
十一月十六日
制作劇場で、「ペエア・ギユント」を観る。
悲嘆のあまり、ナウは自殺しようとする。此処でするのはよしてくれ。おれがゐなくなつてからやつてくれ。善し悪しは別として、フランス精神といふものは、兎に角あるのだ。われわれの誰が、若し書けたとしても、イプセンの戯曲を書く勇気があるだらう。(中略)
われわれも亦、われわれの「フアウスト」を書かうかと思ふことがある。しかし、われわれは、そこで踏み止まるのだ。北方の人間は踏み止まらない。彼は、一人のブウルジユワを、自由に酔ふ囚人に仕上げる。(中略)
フランス精神は、「大きなこと」を愛しはする。しかし、それが自分を何処へ連れて行くかを見ようとする。傑作の覘ひをそこにつけるのだ。
あゝ、如何に多くの天才が、おれに「一撃」を与へたことか。おれの頭は、もう割れてゐなければならない筈ではないか。
おれは、おれのあらゆる苦悩を賭して、他人に完全な静謐を与へようとするのだ。
十二月一日
あゝ情けない。おれはもう下手に書くことができなくなつた。
それはもう批評をするわけに行かぬ。蔭でおれを褒めてゐる作家達を、二た言目には怒らしてしまふだらう。
底本:「岸田國士全集21」岩波書店
1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「読売新聞」
1930(昭和5)年2月15日
初出:「読売新聞」
1930(昭和5)年2月15日
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