ほんとうに旧いものを尊ぶ人、ほんとうに新しいものを求める人が、それほど少くなつたのでせうか。
それはまあいゝとして、谷崎とか菊池とか云ふ新時代の人気ある少壮作家が、どうしてもつと妥協のない作品を発表しないんでせう。両氏の文学的才能を充分に認め、その或る作品に対しては多大の敬意を払つてゐるのですが、今度のものは、何《いづ》れも感心が出来ないやうに思ひます。
先づ『無明と愛染』ですが、これは第二幕の初め、奥の間で愛染の声が聞えるまでのやゝ引締まつた場面を除いては、全然劇的でありません。素読をする為めには流暢なあの文章が、如何に舞台を退屈にしてゐるか、如何に暗示的効果に乏しいか、そして如何に非音楽的であるかは、誰しも気のつく事であらうと思ひます。勿論、此の劇の欠陥は文体ばかりにあるとは云ひません。人物が悉く平面的で、時には空虚な感じさへします。各人物の言葉に盛られた感情なり思想なりが、その心理的境遇の推移と歩調を合せてゐない、これは劇的作品の致命的弱点であらうと思ひます。
此の種の主題を取扱ふならば、作者はもつと豊富な、大胆な、そして殊に理知的な想像力を働かせなければ、見物は作者の
前へ
次へ
全6ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング